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鈴木大地のバサロ伝説 チーム、コーチ、選手が一体となって獲った金メダル オリンピック感動物語

2017年12月29日 07:00配信

©Getty Images

普段はあまり触れることのない競技や選手に触れることができるのもオリンピックの大きな魅力の一つです。2000年シドニー大会の高橋尚子の女子マラソン初の金メダル、2016年リオ大会の団体金メダルへの栄光の架け橋となった2004年アテネ大会の体操男子団体28年ぶりのメダルなど、誰にでも記憶に残っている思い出のオリンピックがあります。

1988年のソウル大会、水泳男子・100m背泳ぎの金メダルも多くの人に衝撃を与えた“記憶に残る”メダルでした。物語の主人公は現在スポーツ庁の長官を務めている鈴木大地。世界中を驚かせた金メダルの裏には知られざる物語がありました。

(文・小林信也)

下馬評ではやや劣勢も金メダルを確信していた鈴木大地

2015年10月に設立されたスポーツ庁の初代長官として、メディアに登場する機会の多い鈴木大地長官。30代半ば以上の人は、その鈴木大地長官がソウルオリンピックで金メダルを獲得した“伝説のスイマー”であることを知っているだろう。スタートしてからプールの半分以上、深く潜り続ける独特の「バサロ・スタート」は一世を風靡し、流行語にもなった。

1988年9月、ソウルオリンピックが開幕する前、日本選手の金メダル候補の中に鈴木大地の名前はなかった。メダルを期待する声は一部にあったが、メディアの多くは頂点を狙える可能性を強く感じてはいなかった。

しかし、鈴木大地自身は、そしてコーチの鈴木陽二も、所属先セントラルスポーツの後藤忠治社長(当時)も金メダルだけを目指し、確信してその日までの準備を重ねていた。

筆者が初めて練習プールを訪ねたのは、オリンピックの約10カ月前。腰痛や肩の故障に苦しみながらも、鈴木大地が鈴木陽二コーチと練習に取り組んでいた。後藤社長も激励に訪れていた。後藤忠治は、自ら1964年東京オリンピックの水泳代表選手だった。100m自由形の日本記録保持者。メダルを期待されて臨んだ東京オリンピックで、400mリレーは4位になったが、メダルを獲れなかった。その悔しさを後輩に託したい、後進を育てたい、その一念で、体操の金メダリストの小野喬夫妻、遠藤幸雄さんらと起業したのが、セントラルスポーツだ。

世界一を志す水泳少年、水泳選手が一般の利用者に遠慮せず、競泳の練習に専念できる環境(プール)は、1964東京オリンピックのころにはまだほとんどなかった。後藤は、会社組織で競技環境を整え、選手育成に歩み出した先がけのひとりだった。

バーコフ、ポリャンスキーに勝利するための秘策

©Getty Images

練習後、鈴木大地と鈴木陽二コーチに話を聞いた。ふたりとも、最大のライバルとして、アメリカのバーコフ、ロシアのポリャンスキーの名前を挙げた。

「飛び出すのはバーコフ、後半強いのはポリャンスキー。まずバーコフにどれだけの差でついていけるか。そして残り20m、3人が横一線に並んでからが勝負。ラストスパートで、ポリャンスキーに負けない勢いで泳げれば、大地がコンマ1秒の差で勝つ」

鈴木陽二コーチが詳細にレース展開を予測した。陽二コーチは、選手としての実績はほとんどない。スイミング・クラブのインストラクターからキャリアをスタートし、後藤社長に指導者の才能を見出された。そして、鈴木大地という才能と出会い、鈴木陽二はコーチとしての才覚を発揮した。幸せな出会い。その鈴木陽二コーチは、インタビューをこう締めくくった。

「残り20mでスパートできるか、その力をつけることがこれから本番までの課題です」

 

鈴木大地自身は、さらに目を輝かせて言った。

「最後はもう爪の長さの勝負になるかもしれません。だからいま、爪を伸ばしているんです」

その目は笑っていなかった。本気だった。そして続けた。

「タッチは、腕を回すと時間がかかるから、最後のタッチだけでは腕を真っ直ぐ頭上に伸ばす。指が折れてもいい、ガンと、真っ直ぐ手を伸ばします」

指をしっかり伸ばした掌を、頭上に勢いよく伸ばす動作を実際にしながら、鈴木大地は宣言した。

9月25日、いよいよレース当日。午前中の予選で、鈴木大地はライバルのバーコフに思った以上の大差をつけられた。バーコフは世界記録の54秒51で泳いだ。鈴木大地は55秒90。1秒39もの差。このままでは勝負にならない。

夜の決勝までの間に、大地と陽二コーチはそれぞれ、予選を振り返りながら、決勝への秘策を練った。

夕方、選手村を出るとき、鈴木大地と顔を合わせた鈴木陽二コーチは、予選では21回だったバサロを「25回にしないか」と、思い切って提案した。すると鈴木大地は、小さく首を振って言った。

「27回で行きましょう」

陽二コーチよりさらに大胆な覚悟を大地は決めていたのだった。

常識破りの挑戦が生んだ金メダル

©Getty Images

スタートで体力を消耗すれば、終盤の伸びに影響する。だが、賭けに出るしか、勝つ道はなかった。27回のバサロは、レースではやったことのない、未知の距離だった。

緊迫した空気の中、レースはスタートした。大歓声がアリーナに響く。25mを過ぎた。まだ潜っている。鈴木大地が30mで水面に浮かび上がった。バーコフは大地より身体半分、前で上がった。

(先行されているが十分射程内だ。あとは、ラストスパートが効くかどうか……!?)

レースは、10カ月前に鈴木陽二コーチが予言した通りの展開になった。

残り20mで先頭が混沌とし、先行するバーコフの勢いが落ちて残り5mで3人が並んだ。そこからの勝負!

鈴木大地の勢いは加速した。ゴールの瞬間、現場にいた私には、誰が勝ったのかわからなかった。電光掲示板を見る。「SUZUKI」の隣に、「1」の数字が灯った。

勝った? 金メダル? プールの中の鈴木大地も、掲示板に少し近づき、目を細め、その数字を確かめて初めて勝利を確認して両手を挙げた、それほどの大接戦だった。差はわずか0.13秒。距離にすれば、掌ほどの長さでしかない。まさに、「手が折れてもいい」、1年近くも前から想定していたデッドヒートを制して、鈴木大地は金メダルを手にした。日本の競泳陣が16年ぶりに獲った金メダル。

それは、バサロの達人が世界を制覇した瞬間でもあり、所属企業、コーチ、選手が一体となって金メダルを勝ち取った瞬間でもあった。

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