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日本卓球界の若きエース張本智和 “14歳の怪物”はいかなる環境で育ったのか、張本家の教育方針とは? 前編

2018年3月5日 13:00配信

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日本卓球界に颯爽と現れたニューヒーロー、張本智和。今年の全日本選手権では、リオデジャネイロオリンピックで銅メダルに輝いた水谷隼を破り、史上最年少優勝を果たすなど、その躍進ぶりはすさまじいものがあります。2年後の東京2020での活躍も期待される“14歳の怪物”はいかなる環境で育ったのでしょうか? 張本家の教育方針から、その答えをひも解きます。

(文=千葉正樹(フリーエディター&ジャーナリスト))

14歳にして卓球界のトップ選手となった張本智和

昨今、“怪物”“神童”と呼ばれる新世代の台頭が著しい。

その最たる例として挙げられるのが、中学生棋士の藤井聡太六段だろう。14歳2カ月でプロ入りを果たし、最年少棋士記録を更新した。その後2016年12月から翌年の6月まで前人未到の公式戦29連勝を記録し、若くして将棋界でトップ棋士の一人に数えられるほどの実績を残している。

そしてもう一人、現役中学生でありながらトップ選手としての評価を確固たるものにし、2020年の東京オリンピックでの躍進が期待されるアスリートとして、卓球の張本智和を忘れるわけにはいかない。

2003年生まれの張本智和はまだ14歳でありながら、ITTFワールドツアーの男子シングルス大会で史上最年少(14歳61日)にして優勝を経験した。2018年1月の全日本卓球選手権では年上の強豪を次々に打ち破り、決勝では日本卓球界のエース水谷隼を4-2で撃破。14歳にして日本卓球界の男子シングルス王者となったのである。

2018年2月27日に発表された2018年3月のITTF世界ランキングで、張本選手は12位に付けており、これは丹羽孝希(7位)、松平健太(10位)に続く日本人3番手だ。

そして2月22日~25日にロンドンで行われた卓球チームワールドカップで、張本智和は日本代表メンバーに選出された。準決勝では韓国を破り、決勝では中国と対戦。張本は「尊敬する選手」と公言する世界ランキング2位樊振東(ファン・ジェンドン)相手に0-3のストレート負けを喫し、チームも0-3で中国に完敗する結果となった。

この大会では惜しくも準優勝に終わったように、現在の日本卓球界は“王国”中国の背中を追う状況となっている。そんな中、張本は世界のトップランカーに引けをとらない戦いを見せ、世界でも指折りの卓球選手としての評価を、14歳で手中にしている。

14歳といえば、一般的には“中学生”としてひとくくりにされる世代である。だが“ジュニア世代”である張本智和が、なぜ年齢制限なしの過酷な環境下で、世界のトップ選手と対峙し、対等に戦うことができるのか――。

トッププレーヤーに匹敵する高い技術を持っているのはもちろんだが、アスリートとしてものをいうのがメンタルだ。身に付けることが難しいこの素養を、張本智和は14歳にしてすでに備えている。

もちろん張本選手は、両親が共に実績ある中国出身の卓球選手というバックボーンがあり、それが大きなプラスとなったことは間違いない。とはいえ、両親は基本的な教えやしつけ、勉強の大切さを重視する方針で、息子に卓球を強いるようなことはなかった。むしろ「卓球はやらせないかも」とまで考えていたという。

では、そんな張本智和という14歳の“怪物アスリート”はいかなる環境で育ったのか、触れてみたい。

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父親は息子の智和に卓球を強要せず、本人の自主性を尊重

張本智和は2003年6月27日、宮城県仙台市で生まれた。両親はともに中国・四川省出身で、父親の宇さんは中国の元ジュニア代表選手。母親の凌さんは、1995年の世界選手権天津大会で中国代表として出場した経歴を持つトップ選手だった。

宇さんは1998年に「仙台卓球センター」のコーチとして招かれ、それ以来20年仙台に住み続けている。「ジュニア代表時代に初めて国外遠征をしたのが日本でした。中国に近く、とてもきれいな国だと感じた。その中でも仙台はとてもいいところで、今ではいろんなところに行っても、他県から仙台に帰ると落ち着くんです」と語っている。

そして宇さん、凌さんの2人は仙台に居を構え、2003年に長男の智和を授かった。そんな家庭に生まれた智和は「(自分が)いつから卓球を始めたか分からない」と語っている。父の宇さんによると、1歳の頃にはラケットを握って遊んでいたという。

「智和の面倒を見てくれる人が近くにいなかったので、必ず職場(仙台卓球センター)に連れてこなくてはいけなかった。実を言うと『子どもには卓球をやらせないかも』と思っていたのですが……。球拾いをしたり、他の子を真似したりして遊んでいるうちに、自然に卓球をやるようになっていました」(宇さん)

張本智和は卓球に触れ合う環境で育ったが、父親は息子に卓球をやらせるかどうかは分からなかったとのこと。つまり、卓球選手に育て上げようとは、当初考えていなかったという。

また、父親は息子に卓球の練習を強要したことは一度もなく、自由に遊ばせ、本人がやりたい時に卓球をやらせるようにしていた。張本選手にとって、幼少の頃から卓球は遊びの一環であり、周囲を真似するうちに上達していったようだ。

そんな中でも張本智和の“負けず嫌い”な根性は幼い頃から目立っていた。3歳で県予選を通過するなど、早くも才能の芽を伸ばし、4~5歳の頃にはできないこと、勝てないことが悔しく、練習中のゲームでも負けたら悔し泣きをするようになる。相手が年上の子どもだろうと、大人だろうと、関係なく泣いていた。張本にとってターニングポイントになったのは、6歳の全国大会だったと父親の宇さんは振り返っている。

「幼い頃は負けるとすぐ泣いていましたね。毎回泣かれるのは大変でした。でも、悔しくて泣くことは、いいことだと今では思います」

全国大会ではベスト16で敗退を喫し、悔しさのあまり大泣きする当時6歳の息子が印象深いという。それから張本選手の負けず嫌いには拍車が掛かり、卓球に向き合う姿勢が変わった。2010年、バンビの部(小学2年生以下)で1年生にして王者になると、それから年代別のタイトルを常に手にしてきた。

張本家は「勉強が一番」卓球はあくまで二の次

ストイックな姿勢で卓球に向き合い、小学校低学年からその世代の頂点を極めてきた張本智和。卓球教室を生業とする両親の下、卓球のスパルタ教育を施されて育ったかというと、実情は異なる。張本家の教育方針を父親の宇さんに伺うと次のように述べている。

「うちでは『勉強が一番、卓球は二番』です。将来のためにも勉強は必要だし、トップ選手になるうえでそれは重要なこと。もちろん、卓球選手でなくとも欠かせないことだと思います。これから先、どんな道に進むことになっても勉強は必要ですから」

自宅では毎日必ず勉強時間が設けられ、机に向かっていた。そのほか、小学校時代の智和少年は週1回英会話教室、週2回学習塾に通っていたという。

習い事がない日でも1時間は必ず勉強し、卓球の練習を開始する前には学校や塾の宿題を済ませるのが日課だった。課題をしっかり終わらせ、それからやっと卓球の練習時間へ入る。大好きな卓球をする前に机へと向かい、集中して宿題を終わらせることが“当たり前”となっていた。

鉛筆を持っても、卓球のラケットを持っても、手を抜かずに力を発揮するという図式は変わらない。試合中に張本選手が発揮している集中力は、普段の生活で培われたものでもあるのだ。

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<後編へ続く>

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