東京2020

コラム

レスリング界を変えるはずだった吉田沙保里の敗北 オリンピック感動物語

2018年3月19日 10:00配信

© The Asahi Shimbun/Getty Images

パワハラ問題の渦中にある日本レスリング界ですが、伊調馨選手のオリンピック4連覇、吉田沙保里選手の3連覇というレスリング史上に輝く金字塔が色褪せることはありません。しかし、4連覇を逃し銀メダルに終わった吉田選手の言葉と表情は、スポーツの意味、メダルの価値を考え直させるものでした。今回の騒動を暗示するかのような「金メダル至上主義」からの脱却は可能なのか? 吉田選手の今後に注目が集まります。(文=小林信也)

敗北以上に衝撃的だった敗戦後の言葉と表情

2016年夏のリオ五輪、数々の金メダルに沸く日本列島に、特別な衝撃を与える光景があった。

世界大会16連覇、個人戦206連勝など、数々の記録を達成。「絶対女王」「無敵の世界王者」と世界中の誰もが認める女子レスリングの吉田沙保里が、アメリカのヘレン・マルーリスに決勝で1対4の判定負けを喫し、4連覇ならず、銀メダルにとどまった。衝撃だったのは、敗北という事実以上に、試合後の吉田沙保里の言葉と表情だった。

泣きじゃくりながら叫ぶ吉田沙保里をテレビカメラが捉えていた。吉田は、

「お父さんに叱られる!」

生々しい声で叫び、泣きじゃくり続けた。その言葉、その表情を目の当たりにして、金メダルが大好きな日本人の多くが、こう感じたのではないだろうか。

「そんなことはない。銀メダルで充分だ。あなたはよくやった!」

無敵の女王・吉田沙保里の敗北は、奇しくも、金メダルラッシュに沸く日本列島に、強烈な冷や水を浴びせ、激しい自責の念、そして反省と気づきを与える衝撃となったのではないだろうか?

金メダル、金メダル、4年後の東京2020オリンピックでも金メダルと、そればかり連呼するマスメディア、そしてファン、さらには選手、指導者、連盟や協会の首脳たち。

(一体、金メダルにどんな意味があるのか? 金メダル以外にオリンピックの意義、スポーツに打ち込む目的はないのか?)

言葉にすれば白けてしまうだろう、そんな原点が、負けることが許されなかった吉田沙保里が負けたことで、日本全国の人々、当事者たちの喉元に突きつけられた。私にはそう感じられた。

銀メダルでお父さんに叱られる。本当にそうだろうか?

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歪んだ勝利至上主義の弊害

あまりにも有名だから説明の必要もないだろうが、お父さんとは、吉田沙保里が3歳でレスリングを始めた時からの師でもある栄勝のことだ。専修大学時代、全日本選手権(フリースタイル57キロ級)優勝、アジア選手権でも銀メダルを獲っているが、1976年モントリオール五輪の代表選考会で敗れ、自らはオリンピックに出場できなかった。

父・栄勝は、リオ五輪の決勝で敗れた沙保里を、本当に天国から叱っていただろうか?

もしそうだとしたら、それまでの吉田沙保里の業績も努力も、すべて「無意味」ということになる。その意気、その覚悟は体育会的な発想で生きてきた人間には、理屈抜きに理解できるし、そういう生き方こそが「勝利への道」そして「正しい生き方」だと信じられてもいる。

だが、パワハラ体質、上から目線が企業や学校、社会でも厳しく問い直される現代にあって、スポーツだけが例外であっていいのだろうか?

金メダルや栄光を印籠代わりにし、半ば洗脳的に選手を競技に誘導し拘束するやり方が日本のスポーツ界を覆っている。一部の個人種目や、かなり柔軟で人道的な考えに目覚めた指導者のチームを除いて、いまもなお、ブラック企業的な体質は日本のスポーツの大勢を占めている。そのような執着を土台にして取り組む練習は、本当に悪弊でこそあれ、無意味かもしれない……。

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絶対女王の敗戦から学ぶべきこと

これから我々日本人は、スポーツを勝利至上主義だけでない、どんな哲学、どんな姿勢、どんな目的を共有して取り組めばいいのか。

新たなスポーツのあり方を追求し、深く議論し、国中で共有することがまさに2020年に東京で(日本で)オリンピックを開催することになった真の意味ではないか、と私は感じる。

女王は決勝で敗れたことで、日本のお祭り騒ぎに鉄槌をくだし、ハッと正気に戻してくれた……。しかし、あれから1年以上が経って、世間は何もなかったかのように、再び金メダル崇拝の空気で占められている。

オリンピックで成果を収めた選手や代表チームの指導者の多くが、一般社会ではいま認められないであろう、厳しい言動や制約を課し、弱音を吐いた選手をさらに突き落とすような行動や言動を取ることはこれまで美談とされてきた。世界一になるには、それくらいの厳しさは当然だという、コンセンサスも一方にはある。だが、企業における働き方も含め、これまでの常識を覆さなければ、社会では通用しない時代に直面している。従来の指導法のすべてを否定されたら、スポーツ界は行き詰まり、針路を失うのもまた現実だろう。厳しさに耐えられない日本人の弱体化にこそ、根本的な問題があるという指摘も一方では真理を突いているかもしれない。その両方を踏まえた上で、これから日本がどのような教育理念を持ち、価値観を共有し、自分たちとそして若者、子どもたちを導いていくか。

女王・吉田沙保里は、その貴重なきっかけをつくった人物として、伝説に刻まれる存在であってほしいと、私は強く感じる。

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