東京五輪2020

コラム

スポーツ雑学王への道!④ 第1回オリンピックのマラソン優勝者はお酒を飲んで走ったの!?

2018年8月6日 17:47配信

スポーツには意外と知られていない豆知識が山のようにあります。親子や恋人とのスポーツ観戦中にちらっとそんな豆知識を披露すれば、尊敬の眼差しで見てもらえるようになるかも?

『スポーツ雑学王への道!』。この連載では、ついつい人に話したくなるスポーツの豆知識をお伝えしています!

第4弾の今回は、「アテネで永久開催の可能性があった!?」、「ワインやビールを飲んで走ったギリシャの英雄!」、「第2回パリ五輪は万博のついでに開催された!?」をお届けします!

(文=仲本兼進)

アテネで永久開催の可能性もあった!? 実現しなかった理由とは……

©Getty Images

2020年に日本で行われるオリンピック東京大会。1896年にギリシャのアテネで第1回大会が開催されて以降、今回で32回目の大会を迎えることとなります。しかしオリンピックの歴史はさらに長く、大会は紀元前から行われていました。それが「古代オリンピック」と呼ばれるものです。

紀元前776年からギリシャのオリンピアで行われていた古代オリンピックは、ギリシャ神話に登場する最高神「ゼウス」に捧げる祭典として4年に一度開催されていました。当時は争いごとが至る所で行われていた時代、しかしオリンピック期間中は参加する全ての地域での戦争が収まっていたことから「平和の祭典」と呼ばれていました!

ちなみに古代オリンピックに出場した選手の一人に「三平方の定理」で有名なピタゴラスがいます。彼は数学者でありながらボクシング競技に出場し、なんと重量級で優勝したという記録が残っているとのこと! 文武両道という言葉をつくったのも、もしかするとピタゴラスなのかもしれませんね!

古代オリンピックは西暦393年をもって終了し、それから長い間大会開催は途絶えていましたが、フランス人教育者のクーベルタン男爵が戦争を止める力を持つオリンピックを復活させるべく奮闘。そして1894年、欧米諸国の代表者が集まる国際スポーツ会議においてオリンピックの復活が決まり、今日まで続く「近代オリンピック」が誕生したのでした! オリンピックの創設者となったクーベルタンはついでに記念すべき第1回大会を故郷フランスでの開催を直訴。しかし他国が「6年も待てない」と反論されたことでその夢は実現できず。そのため、大会復活を決めた2年後にIOC(国際オリンピック委員会)の初代会長を務めたビケラスの出身地でありオリンピックの聖地でもあるギリシャのアテネで第1回大会が開催されたのでした。

1896年4月6日、オリンピック復活の日を迎えたこの日、ギリシャ国民は大いに熱狂!! 内政不安や財政難もなんのその、オリンピックのために整備したメイン会場は大理石でつくられる豪華さでした。オリンピック熱はギリシャ国王にも伝わり、大会が終わった後も興奮は冷めやらず。「オリンピックはギリシャの国技だから古代オリンピックと同じく近代オリンピックもアテネで永久開催させよう!!」と提唱します。しかし、あれだけ熱狂していたギリシャ人も、これ以上財政難に苦しみたくないとし猛反発。クーベルタンもフランスでの開催を望んでいたことからあえなく却下となったのでした。

マラソン誕生の地で英雄となったギリシャの選手は、ワインやビールを飲みながら走った!?

©Getty Images

ギリシャで開催された第1回アテネ大会。体操や水泳、レスリング、自転車など9競技が行われましたが、その中でも花形種目だったのが、今も昔も変わらず「陸上」でした。世界最速を決める100mではアメリカのトーマス・バークが12秒00で優勝。多くの選手が立ち姿でスタートする中、バークは現在でも主流となっている両手を地面につく着地姿勢のクラウチングスタートを披露し周囲を驚かせました。バークを含めたアメリカ選手は陸上11種目中9種目で優勝し無類の強さを披露する一方で、開催国のギリシャはなかなか結果が出ず。特にギリシャでは昔から親しまれている円盤投げでアメリカのロバート・ギャレットに栄冠を奪われたことにより、国民の心はズタズタとなってしまいました……。しかし、ギリシャ人にとって絶対に譲れない種目において、遂に自国選手が大活躍する日が訪れます! その種目が「マラソン」です!

紀元前490年にアテネの軍人がペルシャ軍との戦いに勝ったことを国に伝えるため、戦場となったマラトンから約40km離れたアテネまで走り切り、その任務を果たしたあと息絶えたという歴史から生まれたとされるマラソン。ギリシャ人にとってマラソンはプライドそのものであり、このマラソンをアテネで行う意義あったからこそ、第1回オリンピックがギリシャで開催されたといっても過言ではありません!

国民が大注目する中、ギリシャ代表として出場したのは、羊飼いと水売りを商売にしていたスピリドン・ルイス。住んでいたマルーシという村で水を汲み、片道約20キロのところにあるアテネまで運び売っていたというルイスは国民の期待を背負い出場。しかしレース序盤、フランスとアメリカの選手がトップ争いをする中、ルイスは大きく出遅れてしまいます。その理由は、コースの途中にあった宿屋で休んでいたため……。

しかし、レースの状況は大きく変わっていきます。多くの選手がマラソン以外の競技にも参加しており、そのため最終日に行われたマラソンで体力の限界を感じた選手のリタイアが続出。そんな中、ルイスはワインやビール、牛乳、卵、オレンジジュースを飲みながら自分のペースを保持し、約30km地点に達した時にはいつの間にかトップに立っていました! トップランナーとして競技場に入ったルイスは大観衆の声援を背に力走。国民と同様に興奮した国王と皇太子が伴走する姿も捉えられていた中、マラトンからアテネまでのコース約40kmを2時間58分50秒で走り切ったルイスは、一瞬にして国民的英雄となりました!

現在、ギリシャ国内において「ルイス」という名前は誇り高い名前として親しまれており、2004年に再びアテネで開催されたオリンピックのメインスタジアムは別名「スピリドン・ルイス・スタジアム」とも呼ばれ、彼の生まれ故郷であるマルーシに建てられました。また、2004年大会の閉会式の際、ルイスの偉業を記念したマラソン特別表彰式が行われたことをきっかけに、それ以降の2008年北京大会から男子マラソンの表彰式を必ず閉会式に行うよう定められました。

第2回パリ大会は万博のついでに開催された!? 魚釣りや綱引きも!

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「オリンピックはわれわれの国技だ!」と、ギリシャ国民が主張し熱狂した第1回アテネ大会。この成功を受け、オリンピックの創設者であるクーベルタン男爵に敬意を表するため、IOC(国際オリンピック委員会)は彼の故郷であるパリで第2回大会の開催を決定します。しかし、この大会はオリンピックの歴史においてさまざまな物議を呼ぶものとなりました。

まず、このパリ大会の名称が通常と異なっているという点。本来、オリンピックの正式名称は「オリンピック競技大会」と呼ばれているのに対し、第2回パリ大会は「万博付属国際競技大会」という名称でした。つまり、この時のオリンピックは万博をメインとした一つのアトラクションにすぎなかったわけです。パリ大会が開催された1900年、フランス国内はオリンピックよりもフランス革命100周年を記念したパリ万博に大きな注目を集まっていました。エッフェル塔へのエレベーターの設置や動く歩道、観覧車の設置など万博のためにお金を使うフランス政府は、オリンピックに対し投資することは不可能でした。

そのためIOCは苦肉の策としてオリンピックを万博の一部とすることで国から費用を捻出してもらい、何とか競技場を整備できるまでに至りました。しかし、本来の予定地であった公園内の競技場の使用は認めてもらえず、かけ離れた森の中にある競技場をメインとしたため選手からクレームを受ける事態となりました。またこのパリ大会は万博に付け加えられた大会であるため開会式は無く、大会期間も万博に合わせて約5カ月間と長期間行われていました。

そして、今では考えられないような競技が数多く行われております。第1回大会で行われた競技は引き継いでいますが、その一つの射撃において生きた鳩を利用したことで国民から残虐すぎると非難。そのほか魚釣りや凧揚げ、綱引き、鳩レース、馬の走り幅跳びと風変わりな競技も行われ、そのほとんどがパリ大会でしか行われませんでした。

クーベルタンが思い描いていた理想とはかけ離れた故郷での大会でしたが、決して悪いことだけだったわけではありません。アテネ大会では出場できなかった女子選手の参加が認められるようになったのです! テニスのシングルスに出場したイギリスのシャーロッテ・クーパーが栄えある女子選手第1号、続いてアメリカのマーガレット・アボットがゴルフで金メダリストとなり、大会に花を添えました。ところが、彼女たちの手元には実際に金メダルは届いておりません。実はこのパリ大会では、クーベルタンが直接運営に関わった陸上しか正式なオリンピック競技として認められておらず、メダルも陸上選手にしか授与されていなかったのです……。しかもメダルを実際に手にしたのは大会終了後の2年後だったとのこと。いろんな意味で紆余曲折を感じさせる大会となってしまいました。

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