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美人すぎるアスリート大集合!今から見逃せない東京2020の注目選手!⑤

2019年3月6日 13:00配信

いよいよ来年に迫った東京2020オリンピック。世界中の超一流アスリートがここ日本、東京へと集結します!

こんなチャンスはめったにあることではありません。であれば、日本人選手にだけ注目するなんてもったいない! というわけで、やっぱり外せないのは美人アスリートですよね?

というわけで、今回は東京2020で注目の美人アスリート特集第5弾をお届けします!

(文=仲本兼進)

女子棒高跳史上最年少のメダリストは、モデル級のスタイルと余裕の笑顔で魅せる!

©Getty Images

2016年リオデジャネイロ大会の女子棒高跳に弱冠19歳で出場したニュージーランド代表のエリザ・マッカートニー選手。179cmの身長を武器に笑みを浮かべながら競技に臨むその姿は、陸上ファンの目を釘付けにしました!! マッカートニー選手は最初のジャンプで4m50cmをクリア。その後4m60cm、4m70cmと記録を伸ばしていき、メダルの期待がかかった4m80cmに挑むと見事に成功。自己記録を超える高さを飛び越えた彼女は銅メダルを獲得し、女子棒高跳の歴史において最も若いメダリストとなりました!!

マッカートニー選手は1996年、走高跳の選手だった父親と体操選手だった母親の間に誕生。スポーツ一家の長女として幼少のころから陸上やバスケットボール、テニス、水泳、スカッシュ、クロスカントリー、タッチラグビー、水球とさまざまなスポーツを経験しました。その中でも陸上は早い段階から頭角を現し、棒高跳を始める前に走高跳の選手としても10代前半から好記録を残すなど将来有望な選手として注目を浴びていました。

スポーツ万能な彼女が本格的に棒高跳を始めたのは2011年の14歳の時。当時から高身長でなおかつ敏捷性が高かったマッカートニー選手は2012年、18歳未満の選手が出場するニュージーランドの大会で優勝を飾ると、その翌年にはニュージーランドのユース記録を更新しすぐさま頭角を現します! その後も2014年に開催された世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得し、2015年には年齢制限の無いニュージーランド選手権で優勝、そして同じ年には4m64cmの世界ジュニア新記録を達成し、飛ぶ鳥を落とす勢いでさまざまな記録を樹立させました!

もともとマッカートニー選手は長期計画のもと、オリンピックは東京2020大会を出場する最初の大会として見据えていましたが、好記録を連発した彼女は当初の計画を前倒しにしてリオデジャネイロ大会に出場。ニュージーランドのみならず世界中から注目を浴びる中、笑顔を見せる余裕を見せるなどプレッシャーをはねのけ、ニュージーランドのフィールド競技では4人目となるオリンピックメダリストに輝きました!! その後もシニア大会を中心に出場を重ね、着々と力をつけているマッカートニー選手。23歳の年齢で迎える東京2020大会ではさらに輝く色のメダルの獲得が期待されます!

紛争の悲しみから… 祖国に初の金メダルをもたらしたコソボの希望

©Getty Images

2014年にIOC(国際オリンピック委員会)に加盟承認され、2016年リオデジャネイロ大会で初めてオリンピックに参加したコソボ。その選手団の旗手を務めたのが柔道女子52kg級のマイリンダ・ケルメンディ選手でした。彼女は生まれたときからコソボ紛争に巻き込まれる生活を余儀なくされていました。柔道との出会いは紛争が終結した1999年。8歳の時でした。彼女はこの時、柔道に打ち込み、柔道のある人生を楽しもうと心に決めたといいます。

コソボがまだIOC非加盟だったころ、ケルメンディ選手は市民権を有するアルバニアの代表として2012年ロンドン大会でオリンピックに出場した経験はあるものの、祖国の代表として出場することに意義を感じ、国籍変更の打診を断り続けながらコソボを背負って世界大会に出場していました。2013年と2014年の世界選手権で連覇を果たすなど頭角を現していた彼女は2016年、初めてコソボ代表としてオリンピック出場が認められたリオデジャネイロ大会に優勝候補の一人として参加。準決勝で中村美里選手、そして決勝でイタリアのオデッテ・ジュフリーダ選手を有効で破った彼女は、コソボに史上初となるオリンピック金メダルをもたらしました!!

オリンピックを終えて帰国したとき、心待ちにした国民は涙を流して彼女を出迎えたといいます。セルビアから2008年に独立した後、明るい光をもたらした彼女はコソボの未来を担う象徴となりました!

ケルメンディ選手は今もコソボに住み、柔道の発展に寄与。国内に6カ所だった道場も金メダルの影響で22カ所と増加し、彼女に憧れを持つ子どもたちが道場に足を運んでいます。そしてケルメンディ選手自身もオリンピック連覇を見据え、東京2020大会出場を目指し稽古に励んでいます。リオデジャネイロ大会で獲得したメダルを枕元に置いているという彼女。2個目の金メダル獲得を夢見ています!!

「シ・セ・プエデ!」オリンピック史に語り継がれる涙の表彰式とプエルトリコの英雄

©Getty Images

プエルトリコがオリンピックに参加したのは1948年ロンドン大会から。現在までメダルの総獲得数は9個でそのうち6個がボクシングで獲得したもの。しかし強国として知られるボクシングにおいてもプエルトリコに金メダルをもたらすことはできませんでした。ところが2016年、一人の女子選手がプエルトリコのオリンピックの歴史を大きく変えました! 当時世界34位の女子テニスプレーヤー、モニカ・プイグ選手は23歳の時、リオデジャネイロ大会の女子シングルスにノーシードで参戦。これまでツアー優勝1勝のみの彼女でしたが、3回戦では第3シードのガルビネ・ムグルサ選手(スペイン)、準決勝ではウインブルドン覇者のペトラ・クビトバ選手(チェコ)を破り、世界に驚きをもたらしました!

プイグ選手は1993年にプエルトリコで生まれ、その後アメリカに移住しました。「プエルトリコは悪いニュースでいっぱいだった。でもオリンピックという大舞台でメダルを獲得できればきっとみんなが幸せな気分になってくれる」。その強い思いと決意をもってプエルトリコのためにコートに立ち続けた彼女は、オリンピックという大舞台で快進撃を見せます!

決勝の相手は第2シードのアンゲリク・ケルバー選手(ドイツ)。プイグ選手は持ち味でもあるパワフルなショットでケルバー選手を翻弄。ノーシードから勝ち上がった選手の勇姿に観客からも「シ・セ・プエデ!(やれば出来る)」の声が響き渡り、彼女の背中を後押しします。プイク選手自身も「私には出来る」と心の中でつぶやいていたとのこと。観客を味方につけた彼女は6-4、4-6、6-1でケルバー選手を下し、プエルトリコ史上初となるオリンピック金メダルをもたらしました! 試合後、すぐさまプエルトリコの旗を受け取りに行った彼女は国民とともに喜びを表現。表彰式では国歌を歌おうとするも涙があふれて歌いきれず、代わりに彼女をサポートし続けたプエルトリコの仲間たちが大きな声量で歌い始めたその光景は感動を呼びました。

2010年からプロデビューし、現在までツアー通算2勝。4大大会では2013年のウインブルドン4回戦進出が最高という彼女ですが、オリンピックで見せた奇跡はテニス界において今後もきっと語り継がれることでしょう。

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