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スポーツ雑学王への道!⑦ラガーシャツが横縞の理由に、バレーボールの意外な先祖?

2019年5月29日 13:00配信

スポーツには意外と知られていない豆知識が山のようにあります。親子や恋人とのスポーツ観戦中にちらっとそんな豆知識を披露すれば、尊敬の眼差しで見てもらえるようになるかも?

『スポーツ雑学王への道!』。この連載では、ついつい人に話したくなるスポーツの豆知識をお伝えしています!

第8弾の今回は、「日本のラガーシャツが横縞の理由」、「バレーボールの先祖はインド?」、「7人じゃなかったハンドボール」をお届けします!

(文=仲本兼進)

なんで日本のラガーシャツのイメージは横縞なの?

(C)GettyImages

ラグビーで使用されるユニフォームのことを「ラガーシャツ」といいます。ラガーシャツと聞くと、襟付きのシャツが体にピッタリとフィットしていて、なおかつ横縞のデザインが施されている印象が強いかもしれません。しかし意外に思われるかもしれませんが、海外では横縞はほとんど見られず、無地のデザインが主流となっています。ラグビーの強豪国であるニュージーランドの黒、イングランドの白、オーストラリアの黄色、南アフリカの緑といった具合に、そのほとんどが単色のユニフォームを着用しています。ではなぜ、日本ではラガーシャツは横縞のイメージが強いのでしょう。

一つの理由として、日本にラグビーが入ってきた時期が遅かったということが挙げられます。ラグビーが伝来された時期において他国に後れを取った日本は、使用するユニフォームを作る際、単色無地のユニフォームのパターンが出尽くしてしまっている状態だったとのこと。そのため、国旗で使用される赤と白を使った横縞ユニフォームが作られたことで、日本のラガーシャツのイメージが横縞に確立された要因といわれています。

また、横縞は日本人の体型に合わせたデザインであったということも挙げられます。海外の強豪国の選手と比較して小柄に見える日本人選手の体型ですが、横縞のユニフォームを着用することで体格が膨張して見える効果が生まれます。そのため当たり負けをしたくないという日本人の強い思いもあり、好んで横縞を着用するケースが多いとされています。そういう意味も踏まえ、横縞のラガーシャツは世界的に見ても日本を印象づけるデザインといえるでしょう。

ちなみに、激しい当たりを繰り返して服をつかまれるシーンがよくあるにもかかわらず、シャツが破れることはあまり見られません。ラグビーはルール上、服をつかむことは反則ではないため、破れないよう頑丈な素材でできており、以前は分厚い綿生地のものが主流でした。最近はポリエステルが素材に加わり、なおかつ簡単につかまれないよう体に密着するフィットジャージが主流となっているそうです。

バレーボールの先祖はインド発祥のスポーツ「ミントン」?

(C)GettyImages

さまざまな種類のサーブ、そして正確なトスから強烈なスパイクに至るまでの動作で互いのコートにボールを打ち合うバレーボール。ボールを落とさないようにプレーするという初見でもわかりやすいルールで、学校の授業でも実際にプレーしたという人も少なくないことからとても身近に感じられるスポーツの一つといえるでしょう。

バレーボールは1895年にアメリカで誕生しました。当時、屋内でできるスポーツとしてバスケットボールがはやっていたのですが、その競技の性質上、接触プレーが多く、なおかつ運動量が必要であったため老若男女がプレーすることは難しいとされていました。そこで体育教師だったウィリアム・ジョージ・モーガンは、女性や子どもなども気軽に楽しめる屋内スポーツをつくろうと考え、「ミントン」というスポーツをモチーフにしバレーボールを考案しました。ミントンとはインド発祥の競技で、ラケットを使い7フィート(約2.13m)のネットを越して毛玉のボールを打ち合います。ボールを地面に落としたら失点となり、バドミントンとテニスを掛け合わせたような競技といえるでしょう。この競技がインドからアメリカに持ち込まれ、そのプレーを間近に見たモーガンは、同じ人数の2チームがボールを打ち合い、ボールを落とした方が負けというゲームを思いつき、バレーボールの原型が誕生しました。その当時はバレーボールと呼ばず「ミントネット」という名前でしたが、ボールを床に触れないように打ち返す競技であったことからテニスで見られる「ボレー(volley)」を用いてバレーボール(volley ball)と呼ばれるようになりました。

ちなみに日本にバレーボールが伝わったのは1913年、当時は現在のような明確なルールが存在しませんでした。そこで日本独自のルールで誕生したのが「9人制バレーボール」です。しかし海外では6人制が主流となっており、9人制が当たり前だった日本において6人でプレーすることには戸惑いがあったそう。しかしオリンピックで正式種目となった1964年東京オリンピックでは、世界に対抗するべく研究を重ねて回転レシーブや時間差攻撃など日本独自の技術が編み出され、女子は金メダル、男子も銅メダルを獲得する快挙を成し遂げました。

ハンドボールは1チーム7人だけど…… 実は五輪で一度だけあった●人制

(C)GettyImages

長さ40m×幅20mのコート上で、激しいボディコンタクト、スピーディーな攻守の切り替え、そして滞空時間の長いジャンプシュートといった場面が随所に繰り広げられるハンドボール。別名「空中の格闘技」とも呼ばれており、ヨーロッパではサッカーと並ぶ人気のスポーツとして確立されています。

さてそのハンドボール、1チーム何人でプレーするかご存じでしょうか。体を張ってシュートを守る「ゴールキーパー」。司令塔が立つ「センターバック」。エースポジションの「レフトバック」、左利きエースのエリア「ライトバック」、縁の下の力持ち「ピボット」、持久力と素早さが必要な「右サイド」、「左サイド」といったポジションにそれぞれ一人ずつ、すなわち合計7人でプレーするというわけです。

ところが、かつてのハンドボールには「11人制」というのも実は存在していました。19世紀の終わりごろにデンマークで考案されたハンドボールは、その当時は7人制のみでしたが、1910年代に11人制のハンドボールがドイツで考案されたのをきっかけに、それぞれが発展・普及していきました。11人制の場合、基本的には攻撃専門と防御専門が5人ずつ、そしてGKを含めた11人で行われ、試合はサッカーと同等の広さのコートが必要でした。

当時は7人制よりも11人制のほうが人気を博しており、世界情勢においてドイツの影響力が強まっていたということも理由の一つとされています。そのため初めてハンドボールがオリンピックに採用された1936年第11回ベルリン大会では、上位進出が見込める競技をゴリ押ししたヒトラーの特別要求により11人制で行われ、その結果、初の金メダルはドイツにもたらされました。しかし1945年の終戦を皮切りにドイツの影響力が衰退。同時にデンマークやスウェーデンといった北欧勢がハンドボール界の勢力を高めていったことから世界的に7人制へと傾いていきました。

11人制ハンドボールがオリンピックで行われたのは後にも先にもベルリン大会のみ。1948年から20年間は採用されなかったものの1972年、第20回ミュンヘン大会から7人制ハンドボールが正式種目となり現在まで続いています。

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