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あの人は今…?五輪メダリストの現在を追跡する!「初めて自分で自分をほめたい」有森裕子は今も“走り”を止めない

2019年6月19日 15:10配信

過去に活躍した五輪メダリストの現在を探る『あの人は今…?』シリーズ!

今回登場するのは、1992年バルセロナオリンピックで銀メダル、1996年アトランタオリンピックで銅メダルを獲得した、有森裕子さん。2007年の東京マラソンを最後に競技ランナーを引退した彼女はいま、いったい何をしているのでしょうか。

(文=池田敏明)

(C)Getty Images

アトランタ大会の“あの”名言の裏にあった、つらく苦しい4年間

全力を尽くして戦い抜いたアスリートの方々は競技後にコメントを求められた際、時にさまざまな「名言」を残します。1996年アトランタオリンピックの女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子さんも、レース直後のインタビューで、今なお語り継がれる名言を残しています。

「初めて自分で自分をほめたいと思います」

有森さんはその4年前、1992年バルセロナ大会の女子マラソンでも銀メダルを獲得しています。日本人の女子選手がオリンピックの陸上でメダルを獲得したのは、1928年アムステルダム大会の女子800mで銀メダルを獲得した人見絹江さん以来、実に64年ぶりの快挙でした。しかしこの時の銀メダルよりも、4年後のアトランタ大会での銅メダルの方が印象としては強く、有森さん本人も感傷的な様子を見せていました。その理由は、バルセロナ大会からアトランタ大会までの4年間にありました。

バルセロナ大会で銀メダルを獲得した後、さらなる高みを目指したいと考えていた有森さんと、「すでに何かをやり遂げて、燃え尽きた選手」と見る周囲との間に、大きな感情の隔たりがあったそうです。加えて足底筋膜炎に悩まされ、1994年にはかかとの手術を実施することになります。第一線から退くとみられても仕方のない状況でもありました。

しかし、有森さんが燃え尽きることはありませんでした。この手術を機にオリンピック出場への思いを再び強くすると、選考レースでしっかりと結果を出し、メダル獲得を唯一のノルマとして自らに課して、アトランタ大会に臨んでいたのです。そして走り抜いた42.195km。つらく、苦しかった4年間を乗り越えて目標を達成したからこそ、「自分で自分をほめたい」という言葉が自然に出たのでしょう。

(C)Getty Images

応援される側から、応援する側へ 有森さんの願いとは?

アトランタ大会後、有森さんはアスリートの地位向上を目指す新たな戦いに挑みました。それまで日本陸上連盟(日本陸連)と日本オリンピック委員会(JOC)が管理していた肖像権の自主管理を目指してプロ宣言をし、CMなどに出演していきました。オリンピックのメダリストがプロ宣言をしたのは、有森さんが初めてのケースです。粘り強い交渉が実って彼女のプロ化は認められ、日本陸連とJOCは肖像権の一括管理を断念しました。その後、水泳の北島康介さんや体操の内村航平選手ら、多くのオリンピアンがプロとして活動していますが、その道を切り開いたのは他でもない有森さんなのです。

2007年の東京マラソンを最後に、有森さんは競技生活から引退しました。22km過ぎで転倒し、出血しながらの力走を余儀なくされましたが、2時間52分45秒の5位で完走し、有終の美を飾りました。しかし、彼女はその「走り」を止めたわけではありません。現役時代とは異なる形で、スポーツのために力走を続けています。

(C)Getty Images

自ら設立に携わり、彼女自身をはじめとする多くの現役アスリートやスポーツ文化人のマネジメント業務などを行う株式会社RIGHTS.では、現在特別顧問を務めています。また、スポーツ文化人としての彼女のプロフィールを見ると、「現在の活動」の欄には数多くの肩書や活動内容が並んでいます。国際オリンピック委員会(IOC)のスポーツと活動的社会委員会委員や日本陸連理事、大学スポーツ協会の副会長、観光庁のスポーツ観光マイスターといったさまざまな団体に関わるものから、福島県しゃくなげ大使やかしわざき大使、高岡市観光親善大使といった地方自治体に関連するもの、母校の日本体育大学および日本体育大学女子短期大学部、出身高校の系列校である就実大学と就実短期大学では客員教授も務めています。

スペシャルオリンピックス日本では2002年にドリームサポーターに就任し、その後は理事、副理事長と推移して、2007年からは理事長を務めています。「スペシャルオリンピックス日本は、人に、そして社会に変化を起こせる組織でなければいけない。(スペシャルオリンピックスのアスリートたちは)スポーツという機会を通じて変化、成長してもらいたい」。有森さんはスペシャルオリンピックス日本での活動についてそう語っています。“スポーツで社会を変えたい”。それが彼女の願いなのでしょう。

ちなみに、有森さんのツイッターのアカウントは「@animo33」となっています。「animo(アニモ)」とはスペイン語で「頑張れ」の意味で、バルセロナオリンピックの時に沿道の観客から掛けられた声援に由来しているそうです。当時は応援される立場でしたが、今は彼女自身が応援する立場となり、スポーツに関わるさまざまな人にエールを送っているのです。

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