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東京五輪2020

コラム

新種目スポーツクライミングで出場内定を決めた野口啓代 最後の舞台に懸ける思い

2019年10月30日 13:00配信

 東京オリンピックで新種目となるスポーツクライミングで、出場内定を決めた野口啓代。彼女はどのような苦難を乗り越えて、夢の舞台への切符を勝ち取ったのだろうか。日本女子クライマー界のパイオニアとなった彼女が心の内に秘める東京オリンピックの決意とは――。

(C)Getty Images

(文=篠幸彦)

小学生から頭角を現した天才少女 日本女子クライマーのパイオニアとなる

 IFSCクライミング世界選手権・八王子大会が、8月10日から21日の間に行われた。スポーツクライミングの東京オリンピック代表権が与えられるこの大会で、日本代表の第1号となったのが野口啓代だ。クライミング歴20年、プロキャリア12年の野口は、まさに日本女子クライマーのパイオニアと言える。

 野口が頭角を現したのは、小学6年生の頃に初めて出場した2002年の全日本ユース選手権だった。小学生から高校生まで幅広い年齢のユース年代が出場する大会で、小学生にして栄冠を手にする。緊張する素ぶりもなく、淡々とした登りであっさりと優勝をさらっていくその様はまさに天才少女だった。

 翌2003年に日本代表として世界ユース選手権のリード種目に出場し、ファイナルに残る8位入賞。2004年大会では4位で表彰台まであと一歩のところまでつけ、着実に成績を伸ばした。そして高校1年生となった2005年、シニアの国際大会デビューとなった世界選手権・ミュンヘン大会で、野口はリード種目で3位の銅メダルに輝いた。16歳2カ月でのメダル獲得は、同大会において当時の日本人最年少記録だった。

 これを機に、野口はシニアの国際大会でファイナリストの常連となった。そして、2008年のボルダリングワールドカップ・モントーバン大会で日本人女子初優勝を飾ると、翌2009年には日本人女子初となるボルダリング種目での年間総合優勝を成し遂げた。それからワールドカップでの優勝が21回、年間総合優勝が4回と、次々と金字塔を打ち立てていった。野口以外の日本女子選手がワールドカップで優勝したのは、2016年ナビムンバイ大会で優勝した野中生萌となる。野中が台頭してくるまで、野口は一人で日本を背負って世界の最前線と戦ってきた。

キャリアの引き際と決めた東京五輪 夢の舞台を前に壁が立ちはだかる

 そんな野口にとって、最大のチャレンジの機会が訪れたのは2016年のときだった。東京オリンピックの追加種目にスポーツクライミングが選ばれた。野口はこのため2015年から招致活動に参加し、英語でのプレゼンテーションで、どれだけこの競技が魅力的で多くの人に愛され、また自分も愛してきたかをスピーチした。

 しかし、このときの野口はキャリアの中で初めてと言っていいほど、大きな故障を足に抱えていた。どこまで現役を続けるか……、初めて思い悩んでいる時期だった。それでもスポーツクライミング界にとっての歴史的一歩を踏むため、野口はこの重責を全うした。そして、追加種目決定の報を受けたとき、野口はキャリアの引き際を東京オリンピックにすると心に決めたのだった。

 東京オリンピックの出場権を獲得するためには、大きな課題があった。それはスピード種目だ。これまで単種目として競われてきたボルダリング、リード、スピードの3種目だが、東京五輪では3つを複合とした“コンバインド種目”という新たなフォーマットで行われることとなった。野口はボルダリングとリードでは世界大会で数多くの実績を残してきたが、スピードは実績どころか経験もほぼゼロ。それは東京オリンピックを目指す他の多くの選手にとっても同じだった。

 ボルダリングとリードは種目こそ違うものの、クライミングとして必要な技術が共通する点は多い。一方、スピードは求められる技術もフィジカルも違って専門性が高く、それを専門とする選手たちがいるほどなのだ。つまり、五輪を目指す選手たちの多くは違う種目をゼロから習得する必要があった。

 このとき、野口は27歳。クライミングのトップでは、10代や20代前半の選手が多く活躍している。そんな若い選手たちと比べてフィジカルもテクニックも完成の域にある20代後半の野口が、これから新たな種目にチャレンジするというのは明らかに高いハードルだった。

 しかも、ボルダリングとリードも現状維持というわけにはいかない。常にレベルアップをしなければメダルを狙えないほど、周りのレベルは年々上がっていた。加えて、野口はスピードに求められる瞬発系の動きを苦手としていた。キャリア終盤にして、最も困難な壁が野口の前に立ちはだかった。

「最後の世界選手権となる」 心の内に秘められた決意と闘志

 2017年シーズンにボルダリングワールドカップでの優勝はなかった野口だが、年間総合3位と実力を示しながらスピード種目の練習にも着手し始めた。そして、2018年は3種目の力が試されるシーズンとなった。その最初の機会となったのが、6月に行われた第1回コンバインドジャパンカップだった。野口は得意のボルダリング種目で1位、リード種目では2位を獲得し、苦手のスピードは3位の成績にまとめた。理想的な形で初代女王に輝いた。

 しかし、9月の世界選手権ではその自信がもろくも崩れてしまった。コンバインド決勝で6人に残るもののスピード種目で6位と最下位。得意のボルダリングとリードでは3位となって、総合で4位となり表彰台を逃した。ボルダリングとリードの2つの種目で1位を獲得する圧倒的なパフォーマンスで優勝したのは、スロベニアのヤンヤ・ガンブレットだった。「このままでは勝てない」。野口は危機感を募らせた。

 そして、2019年シーズンを迎える。オリンピックを目指す選手にとって、東京オリンピックの出場20枠のうち7枠が決定する世界選手権・八王子大会がシーズン最大のターゲットになった。さらに、日本人はその7枠の中に2人以上が入った場合、順位が上の1人にしか代表枠が与えられないことになっていた。上位7人に入りながら、日本人のなかで最上位となる。それがオリンピック代表を切り拓くための道だった。

 2019年シーズンを迎える野口はリードジャパンカップで優勝、ボルダリングワールドカップで年間2位、コンバインドジャパンカップで2位と、国内外の大会で結果を出して世界選手権に参戦した。

 大会前日の記者会見に登壇した野口は、はっきりとこう告げた。「私にとって最後の世界選手権となる」。野口は大会後のインタビューで、この世界選手権で五輪代表権が取れなければ引退するつもりだったことを明かしている。最後の世界選手権とは単に東京オリンピックで終えるつもりというだけでなく、ここからはすべてにおいて“キャリア最後のつもりで戦う”という決意だった。

確かな手応えをつかんだ銀メダル 東京五輪での金メダルを見据える

 並々ならぬ決意で世界選手権に臨んだ野口は、まずはボルダリング単種目で銀メダルを獲得した。金メダルは、あのヤンヤだった。今シーズンのヤンヤは、ボルダリングワールドカップのすべてで優勝するという前人未到の記録を達成していた。野口はすべての種目で2位となり、ヤンヤに一度も勝てていなかった。そして、世界選手権でもまた2位となった。「やっぱりヤンヤには勝てないのか」。野口がそう思ってもおかしくはなかった。

 危なげなくコンバインド決勝に駒を進めた野口は、第1種目のスピードで7位と出遅れた。しかし、第2種目のボルダリングで野口はヤンヤをしのいで1位を獲得。「コンバインドでの1位だけど、ヤンヤに勝てたことは本当にうれしい」と、第3種目へ大きなはずみをつけた。

 最終種目のリードで、野口の前に登ったヤンヤは完登した。総合優勝するためには、ヤンヤより速いタイムで完登するしかない。会場も大きな声援で後押しした。野口はその声援を受けながらテンポよく登り、ゴール手前まで到達した。タイムはヤンヤより約1分も速かった。ただ、体力はとっくに限界を過ぎていた。野口は最後の気力を振り絞り、ゴールに飛びついた。懸命に伸ばした両手はゴールをかすめ、つかむことができなかった。

 リードで3位となった野口は、総合2位の銀メダルとなった。また2位か……。もしかしたら、野口はそう思っていたかもしれない。しかし、それは杞憂に終わった。「もっと遠いところにあると思っていたが、案外金メダルは手の届くところにあるんだと思えた」と、確かな手応えを感じていた。

 東京オリンピックまで1年。つかんだ手応えを頼りに野口はさらなる成長を遂げて、現役ラストステージとなる大舞台で金メダルを狙う。

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