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バタフライ銀メダリスト坂井聖人を襲った試練の連続  “0.40秒差の借り”を返すための逆転劇

2020年2月12日 13:00配信

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リオデジャネイロオリンピック200mバタフライでマイケル・フェルペスと死闘を繰り広げて銀メダルを獲得した坂井聖人だが、その後に度重なる試練を迎えることになった。数々の試練に立ち向かった坂井が、前回大会の借りを返すためにオリンピックイヤーでの復活を目指す

(C)Getty Images

(文=佐藤俊)

「時代が来る」と周囲から期待された坂井聖人 メダル獲得後のバーンアウトで不調に

 水泳のバタフライでは、まだ東京オリンピック内定者は出ていない。

有力選手は200m個人メドレーで東京オリンピック出場を決め、1月に北京の大会において200mバタフライで1分52秒53の日本新記録で優勝した瀬戸大也だ。だが、長い雌伏の時を経て、その瀬戸を猛追し、復活の兆しを見せてきている選手がいる。

 坂井聖人である。

 坂井はリオデジャネイロオリンピック200mバタフライの銀メダリストだ。レースではアメリカの英雄マイケル・フェルペスと競り合い、0.40秒差で惜しくも金メダルを逃した。

「その差って指の第1関節ぐらいの差。あと5メートルあれば差していたなって思って、メダルを取れたのはうれしかったですけど、ちょっと複雑な感じでもありました」

 その強い泳ぎが高く評価され、4年後の東京オリンピックは坂井の時代がやってくると周囲から期待された。だが、そのとき坂井は狙ったメダルを獲得できたことでバーンアウトに陥っていた。

リオデジャネイロオリンピック以降、気持ちは乗らなかったが調子は良かった。全日本大学選手権200mバタフライでは54秒0で優勝し、100mも自己ベストをたたき出した。2017年4月日本選手権200mバタフライでは1分53秒71と53秒台を出して瀬戸に勝ち、世界選手権に挑む日本代表に選出された。

「そのときは、そのタイムでも納得できていないくらい自信があった。コンディションがすごく良かったので、気持が入っていなくてもタイムが出ていたんです。なんで、こんなに調子が良いんだろうって自分でも不思議でした」

 リオデジャネイロオリンピックでメダリストになった自信とプライドが、坂井を速く泳がせていたのかもしれない。だが、そんな不思議な状況がついに終わりを迎える。メダルが必ず取れると自信を持って臨んだ2017年世界選手権200mバタフライ、坂井は1分55秒04に終わり、まさかの6位に終わったのである。

「なんで、という感じでした」

なぜここまでいきなりタイムが落ちたのか、坂井は原因をつかめずにいた。ただ、嫌な予感はしていたという。レース前での練習では手で水をかく感覚がつかめず、すぐに腕がパンパンになり、「これはまずいな」と思っていた。案の定、レースではスピードが上がらず、粘ることもできず、坂井は初めて大きな「挫折」を経験することになったのである。

心が折れた世界選手権での惨敗 その後も続いた試練の連続

 世界選手権後、坂井の調子が上向くことはなかった。

 リオデジャネイロオリンピックで燃え尽きて、その後もしばらくは調子が良い状態が続いたが、世界選手権での惨敗で完全に心が折れた。もともとメンタルは弱いタイプなので深く考え込んでしまい、なかなか悩みの淵から戻れなかった。また、左肩の痛みが増してきた。2015年秋のワールドカップ転戦中に左肩を痛めたが、リオデジャネイロオリンピックのときは気になるほどではなかった。その後、痛みが出て腕を前に突き出せなくなり、力が入らなくなった。フォームの映像を見ると右だけで水をかいていたので、泳ぎが傾いていたという。

 2018年4月の日本選手権200mバタフライでは、1分56秒81で6位に終わった。100mまでは調子が良かったが、ラスト50mでバテてしまった。身体が沈み、腕が上がらず、水をうまくキャッチすることができない。今までにないことが水の中で起きて心が折れ、レースを途中であきらめてしまった。それは坂井にとって初めての経験だった。

「それからは恐怖でしたね。また、そういうことが起こるんじゃないかっていうのが頭の中に浮かんできてしまうんです」

 日本選手権で坂井はパンパシフィック選手権に出場する権利を獲得できず、日本代表の座も失い落ち込んだ。

そして試練は続いた。

 左肩痛が良くなる兆しを見せ始めた頃、今度は右肩痛に悩まされた。ガンクリオンという腫瘤ができて、医師から「選手生命に関わる」と手術を進言され、悩んだ末8月に手術を受けた。それから約2カ月間は痛みもあり、練習することができなかった。

 プールに戻ってからも迷いの時間がつづいた。肩に負担がこないようにフォーム改造に着手したが、ダイナミックさが失われた。リオデジャネイロオリンピックのときのように、水面から身体が立つような抵抗のかかった大胆な泳ぎをすれば速く泳げるが、肩に大きな負担がかかる。どちらを選択していくべきなのか。考えた末、最終的に多少は痛みが出てもタイムが出たときの泳ぎを貫くことに決めた。

 2019年4月日本選手権200mバタフライ、坂井は1分56秒65で4位になり、1分55秒55の世界選手権の派遣標準記録を破れなかった。続くジャパンオープンでも1分55秒78の3位に終わり、世界選手権の出場権を失った。

「自信はあります」 0.40秒差の借りを返すためにまずは東京五輪の切符をつかむ

 しかし、2020年の東京オリンピックをあきらめてはいない。

 左右両肩のトレーニングを継続したせいか、痛みがかなり軽減された。また、食生活を変えた。自炊が面倒なときはラーメンに走っていたが、炊飯器2台を使って炊いた米を1日6合ほど食べ、おかずは栄養のバランスを考えて取るようになった。寝るときは両肩の上に乗らないようにしている。ケアにも時間をかけるようになった。すると、身体がリオデジャネイロオリンピックの頃のように動くようになってきた。

 2020年1月、中国の深圳で行われた国際水連のチャンピオンシリーズ第1戦となる200mバタフライに坂井は出場した。55秒台を目指したが1分56秒73で2位とまずまずの手応えをつかみ、続く第2戦の北京大会では1分56秒23で3位。徐々にだが、調子が上がってきている。今年4月の日本選手権で派遣標準記録(1分56秒25)を突破し、2位以内に入れば東京オリンピックへの出場権を獲得できる。

「ここまで、いろいろ経験してきました。上に行くといつか痛い目に合う。僕はメダルを取った瞬間に、そう思いました。実際に壁にブチ当たって、やっぱり来たなと。でも、さすがにここまですごいことになるとは思っていなかったですけどね。オリンピックの代表権を獲得して当たり前とか思うからダメになった。初心に戻って、ガムシャラにやる。東京オリンピックへの切符を手にしないことには前に進めないんで、その切符をまずとる。その自信はあります」

 はるか前をいく瀬戸の姿を追うのではなく、まずは自分を信じて自分の泳ぎに徹する。いろいろな不安を飲み込んで、坂井は4月1日からの日本選手権に臨む。

 そして、東京オリンピックでは0.40秒差で負けた借りを返すつもりだ。

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