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幻の五輪日本開催が2回。五輪の中止・ボイコットの歴史

2020年9月24日 19:00配信

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コロナウイルスの広がりによって2021年7月まで延期が決まった東京五輪。中止にするべきという意見も存在するが、振り返るとこれまでも五輪中止となったことは何度もある。また全体で中止とまではいかずとも、各選手や国単位でのボイコットなどが何度も見受けられた。今回はそれらの歴史を紐解くことで、五輪がいかに時代背景を色濃く反映しているか、その様子を明らかにしていく。

(C)Getty Images

幻の日本大会が2回も

そもそも五輪は「平和の象徴」をうたい、政治や宗教的な思想を全面的に打ち出すことを禁忌としている。しかし、実際には時代背景を色濃く受けており、その様子はボイコットや中止などの事実から見てとることができる。戦前の五輪の中止理由は全て戦争であった。20世紀前半は、第一次世界大戦が、歴史的にも避けては通れない事象であるが、五輪の中止もその第一次世界大戦によるものであった。1916年ベルリン大会が近代五輪開始後初の中止の自体に追い込まれた。20世紀中盤では、日本も深く関与した、第二次世界大戦により、40年東京大会では日本政府は開催権返上を決定し、ヘルシンキが代替開催地となったが、結局それも第二次世界大戦の影響で中止に。そして続く44年ロンドン大会も中止に。冬季五輪では40年札幌大会、そして44年コルティナダンペッツォ大会が開催できなかった。1964年の東京五輪以前に、夏冬通して2回の五輪開催の機会があったのにも関わらず、第二次世界大戦の影響でいずれも開催されることはなかった。

前回大会も感染症で「ボイコット」

戦後は政治状況を反映して、大規模なボイコットが繰り返された。76年モントリオール大会では、南アフリカの人種隔離政策に反対するアフリカ諸国が大会直前に参加辞退を決めた。その後、東西冷戦も大きく影響し、80年モスクワ五輪は米国がソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してボイコットを決め、日本を含む西側諸国が追随した。84年ロサンゼルス五輪は、その報復措置としてソ連など多くの東側諸国が参加しなかった。この辺りは五輪開催の際に、ニュースなどでクローズアップされることも多い。今回は、コロナウイルスという感染症によるリスクがクローズアップされているが、実は初めてのことではない。感染症のリスクがクローズアップされたのは2016年リアデジャネイロ五輪。ブラジルで流行していたジカ熱が懸念され、バスケットボールではNBAのトップスターであるステファンカリー(ゴールデンステート・ウォリアーズ)など複数の有力選手が出場を辞退した。これはバスケットボールにとどまらず、ゴルフや他の競技などでもみられたが、実際のところ、感染は拡大せず、大会は無事に開催された。

感染症を鑑みず、五輪開催に踏み切ったことも

日本開催だけを取り上げても、40年東京大会、40年札幌大会(冬季五輪)、あわせて2度の幻の大会があった過去がある。これらの歴史を踏まえると、感染症や政治状況によって、完全な形での五輪を成立させるのが難しい状態に陥ったのは、今に始まったことではないことがわかる。今からちょうど100年前、1920年8月にアントワープ五輪が開催された。第一次世界大戦から1年9ヶ月、世界で多くの人の命を奪ったスペイン風邪の最中であったため、大会運営費用不足は深刻であった。しかし、スペイン風邪が収束しない中でも、五輪を成功させることで世界平和をアピールしようとする狙いがあっただけに、甚大な被害を受けたベルギーで行われた。延期された東京五輪にもこのような狙いは少なからずあるだろう。

新たなスポーツのありかた

戦前は戦争による中止。冷戦時代には政治思想による中止。現代は感染症による、選手の不参加と大会延期。これらを踏まえて、五輪がその時々の時代背景を強く受けてきた、とするのであれば、これからは感染症の時代とも言えるであろう。スポーツは感染症とどのように上手く付き合っていけばいいのだろうか。そこでやはり期待されるのが、スポーツのDX(デジタルトランスフォーメーション)である。SNSはもちろん、コロナ禍で一気に普及したクラウドファンディングや、投げ銭などのギフティングサービスもスポーツ界での導入が一層期待される。特に5Gの整備もすすんでいる中で、スポーツ界のオンライン化は必要不可欠な存在になっていくと考えられる。なんにせよ、コロナ禍でのスポーツの新しいあり方が、短期的ではなく、長期的に求められる時代になっていくであろう。

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