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アスリートインタビュー

<インタビュー>全日本男子バレーのエース清水邦広、人生二度目の大怪我から誓った東京 オリンピックの舞台

2018年6月21日 12:20配信

長らく全日本のエースとして、日本男子バレーボール界を支えてきた清水邦広選手。V・プレミアリーグ2017/18シーズン終盤の2月18日、ファイナル6福岡大会のJTサンダーズ戦中に、大怪我を負って戦線を離脱。右前十字靭帯断裂、右内側側副靱帯断裂、半月板損傷と診断され、チームの公式サイトと清水選手自身のツイッターで発表した。一時は選手生命の危機もささやかれたが、しっかりと前を向き、復帰へ向けて日々リハビリに励んでいる。パナソニックパンサーズは4季ぶりのリーグ優勝を果たし、清水選手はベスト6に選出された。(取材日:5月28日)

文=中西美雁

調子が良かったからこそ起きた大怪我

――負傷した足は今、どのような状況ですか?

清水 手術を2回して、数日前に松葉杖が外れて、全荷重をかけ始めたところです。明日こちらの病院を退院して、リハビリ施設に移ります。(*清水選手は感染症を発症し、再入院となった。リハビリ施設に移るのはもう少し先のこととなる)

――2月にあれだけの怪我をして、めちゃくちゃ回復早くないですか?

清水 ずっと調子良かったんですけど、今日はちょっと腫れが出て良くないんですよ。

――怪我をされた時の状況を教えてください。

清水 あの日は調子が良くて、ボールがよく見えていたんです。JTのサーバーにサーブレシーブを崩されて、ネットに近いトスが上がってきたのをなんとか打って、それで跳ね返ってきたボールを避けようとして着地に失敗してしまいました。いつもなら避けたりはしないのですが、あの日はボールがすごく見えていたので、当たらないように避けようとして片足で着地して膝が入ってしまいました。その瞬間にただごとではないと分かりました。膝が全然違う方向を向いていましたし。これまで結構怪我をしてきましたが、今回の怪我が一番痛かったと思います。

――あの時は、なかなか清水さんが運び出されなくて、10分以上苦しんで叫んでいる状態で、会場が異様な雰囲気になりました。

清水 もうめちゃくちゃ痛すぎて、身動きが取れなかったんです。本当に痛くて気絶しそうでした。脱臼もしていたので、膝がグラグラになっていて、少しでも動かすとさらに激痛が走る。だから運ぼうとしても運べませんでした。それで時間がかかってしまったんです。

 その後は救急車で病院に運ばれて、診察を受けて、その日のうちに大阪に帰って翌日にもう一度診察を受け直しました。怪我をした当日に「前十字が切れている」と言われていたんですが、僕自身はまだ望みを持っていました。だから、次の日やはり前十字断裂という診断が出た時は、かなり落ち込みました。

 去年も舟状骨の疲労骨折でリーグ中に離脱し、12月から完全復帰まで10カ月間リハビリを頑張ってきました。その中での今回の前十字の怪我。正直僕自身は、この病院で診断を受けて、復帰には1年以上かかると言われてすごく絶望感がありました。

「もうリハビリする気力もないですし、バレーボールもやめます」と言ったら先生が、「今回の怪我は前十字の怪我の中でも大きな怪我だけど、それでも治っているスポーツ選手はたくさんいるし、いろんな治療法があって、どれが一番いいかというのを、僕だけでなくみんなで考えながら相談して決めて、最善策を尽くす。だから今すぐ引退とは言わないでくれ。一度取り組んでみて復帰して、それで納得がいかなかったら引退してくれていいから」と言ってくれました。本当に良い先生たちで、その言葉に救われて手術が受けられました。

観戦に行ったグランドファイナル

――怪我をした当日からツイッターで、ご自身の様子を発信していますよね。

清水 練習中とかではなく、試合の時の怪我だったので、見ていた方も多く、心配されている方も多いからというのと、自分自身のために、少しでも前向きな言葉を使って発信しようと思いました。あそこでツイッターをしなかったら、もっともっと煮詰まっていたかもしれない。今つらいかもしれないけど、苦難も乗り越えることができるとあとから振り返るためにやっています。

――2回手術をされたそうですが。

清水 1回目は切れている内側靭帯をくっつけるのと半月板を手術して、1カ月様子を見て、その間に筋力をつけるようにしました。筋力がないと前十字の手術はできないので。膝曲げなどをしないと、全然上がらなくなってしまうんです。なので、膝を曲げるトレーニングなどをしてだいぶ歩けるようになって、もう1回手術をして、前十字の移植と軟骨の移植をしました。

――名古屋でのファイナル1日目の前にグループラインでチームにメッセージを送ったそうですね。

清水 怪我をしてからは、つらくてバレーの試合を見ることができませんでした。2週間、3週間経って、ようやくその頃からバレーの試合について考えたり見たりすることができるようになりました。僕の気持ちもだんだん整理されてきて、みんなにも「清水のために頑張ろう」ではなく、自分のためにまず頑張ってほしい。特に後輩たちには、リーグの決勝に立てる機会ってなかなかない。僕もずっとやってきて5回くらいしかない。そのチャンスを自分のために掴んでほしいと言いました。あとは、怪我をしてしまってごめんなさい。俺はテレビで応援するからと。

――同期の福澤達哉選手は、ファイナル名古屋大会でも、グランドファイナル東京大会でも、会見で「清水の分まで点を取ろうとは思わず、自分のできることをやろうと思った」と言っていました。その結果、気負うことなく普段どおりのプレーができていたと思います。東京大会は会場にいらしていましたね?

清水 チームから「これまでチーム全員で戦ってきたし、最後も全員で戦いたいから来てほしい」と言われたんですが、僕自身の気持ちは半々くらいでした。「試合が見たい、一緒の会場にいたい」という思いもあれば、行っても合わせる顔がない、どう振る舞えばいいかわからない。後輩たちにはマネージャーを通してお見舞いも来なくていいと言ってあったので、どういう顔で会えばいいのかわからない。行くことが決まって、病院から付き添われて東京に向かう途中でも、まだ「嫌だな」という気持ちもありました。でも結果的に行ってみてすごく良かったです。前の日の夜から行ったんですが、みんないつもと変わらず明るく接してくれて、自分もいつもどおりいることができました。

 決勝はフルセットでパンサーズが優勝して、正直複雑な気持ちでした。ホッとしたと言うか。そのあとチーム全体の祝勝会が終わって、白澤(健児)さんと永野(健)と福澤と、ベテランだけで祝勝会をしたんです。年が上のメンバーは、これまでも時々そうやって一緒に食事に行ったりしてきました。一緒のチームでやるというのは残り少ない、誰が抜けるかわからない。だからお互いずっと頑張ろうなと言ってきた。その決勝後のベテランだけの祝勝会で永野さんに「今回なんでおまえなんだっていうのは、チームみんなも俺も思っている。去年苦しい思いをして、リハビリして頑張ってここまできて、また怪我で。それでも俺たちはここで止まるわけにはいかない。清水が一番つらいのはわかっているけど、俺たちも頑張って止まらずに進むし、何年でもおまえを待つから、一緒に頑張っていこうよ」と言われて、子どものように泣いてしまいました。「何があっても協力するし、相談でもなんでも聞くから、頼ってくれ」と。それが僕はすごく嬉しくて、だから結果的に行って良かったなと思いました。

 確かに自分がそこに立てなくて悔しい思いもありました。でも、それでも「みんな頑張れ!」と思って応援しましたし、「来年こそはあそこに自分が立って、また優勝するんだ」という気持ちが湧いてきました。

東京五輪へ、焦らず今の自分を受け入れて

――最初に見舞いに来てくれたのは福澤さんだったそうですね。

清水 怪我をして1週間くらいでお見舞いに来てくれたんですが、僕もまだ気持ちの整理が全然つかないときで、2時間くらいいてくれたんですけど、ほぼ無言でした。あの頃はつらかったです。

――決勝後、コートで福澤さんとかなり長く抱き合っていました。

清水 あの時はただ、「良かったな」と。福澤とはずっと一緒にやってきたので、何も言わなくてもわかってくれたと思います。

――4セット目と5セット目の間に中垣内祐一全日本監督が隣に来て話をしていましたけど、あれは何を話していたんですか?

清水 「おまえを全日本のメンバーに登録したから、ちゃんとリハビリをして、早く戻ってこいよ」と言われました。焦ることはないけど、きちんと治せと。

 正直、代表は結果を残して、その選手が入らないといけないと思います。だから、登録してくださったことはとてもありがたいのですが、まずはしっかりと怪我を治して、結果を残して全日本にももう一度チャレンジしたいと思います。今の状態では全日本は確実なものじゃない。正念場かなと思いますね。

――リーグではベスト6を受賞されました。

清水 ベスト6は本来なら、最後まで戦い抜いた選手がもらう資格があるもの。今回は、これも復帰への意味も込めて受賞させていただいたと思うので、うれしいというよりは、来年こそは実力で獲りたいと思いました。

――パンサーズが三冠を達成したゴールデンウィークに開催された黒鷲旗の決勝にも来ていました。ご自身がレギュラーラウンド1位通過とファイナル6の1位通過に大きく貢献したリーグの決勝とは、また違った思いがあったのでは。

清水 黒鷲は自分から行きたいと言いました。試合を見たいというのもありましたし、チームと一緒にいたいという思いですね。ずっと日常生活がバレーボールから遠ざかっていて、今は応援しかできないですから。トレーナーや先生と相談して、行かせてもらいました。三冠は素直に嬉しかったです。

――翌日の地元枚方で行われた優勝パレードにも参加していましたね。

清水 優勝パレード自体は何度か経験がありましたけど、車椅子での参加は初めてでした。ファンと触れ合える機会はなかなかないので、僕自身の今の心境を、あの時にやったトークショーで「元気だよ」と伝えられて良かったです。

――ツイッターでも拝見しましたが、いろんな方がお見舞いに来たり、千羽鶴や寄せ書きが贈られているようですね。

清水 これだけ応援していただいているんだなというのを、この怪我であらためて知りました。それに応えるために自分が何をしなければならないかといえば、まずは復帰すること。そして同じ怪我をした方に、ツイッターで発信して、怪我して何カ月でこういうことができるんやなという道標にしてもらえたらと思います。だから、復帰するまでは発信を続けたいと思います。

――東京五輪までのカウントダウンの時計をいただいたそうですが。

清水 東京五輪に出たい、そして今度こそ勝ちたい。その思いはすごく強いです。でもまずは大前提に治すこと。一日一日をクリアしていって、その先にオリンピックが見えてくると思います。今の段階からオリンピックのことだけを考えるのではなく、目の前のやるべきことを、一つずつこなしていくつもりです。でも、それはやはり大きな目標ですね。

――くじけそうになるときもあるかと思いますが、どう乗り越えていますか。

清水 浮き沈みはあると思うので、それは時間が解決してくれるでしょう。今でも、膝が良い時は、僕自身もゆとりが出てくるし、寝て起きて膝が痛いとすごく不安がある。「日にち薬」という言葉もありますし、焦らず今の自分を受け入れてやっていきます。

――ファンの方に一言お願いします。

清水 本当にすごく心配していただいて、たくさんの励ましの言葉をいただいて、みなさんに支えられながらいるんだなと実感できました。その思いに応えるためにも、もう一回、上を向きながらやっていきたいと思います。

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