東京五輪2020

アスリートインタビュー

北川ひかるは、どう「けが」と向き合ってきたのか? 全てはなでしこジャパンで戦うために

2018年10月11日 18:16配信

北川ひかるは、U-17ワールドカップで優勝、U-20ワールドカップでは3位と躍進するチームの主力として活躍し、10代の頃から将来を嘱望されていた。度重なるけがに泣かされながらも、「いなきゃいけない場所」へと戻るため、彼女は前へと進み続けている――。(取材・構成=馬見新拓郎)

©UGA

なでしこジャパンデビューからわずか2試合目で見舞われた不運

2017年3月、高倉麻子監督がなでしこジャパン(サッカー日本女子代表)の指揮官に就任して、初めて挑んだ国際大会「FPFアルガルベカップ」。当時19歳のDF北川ひかるは、なでしこジャパンデビューからわずか2試合目で右足を骨折する不運に見舞われ、そのまま負傷退場となった。それは、北川がこれまで経験してきた中で、もっとも大きなけがだった。

しかし、懸命なリハビリと練習によって、北川はまたピッチに戻ってきた。さらなる新戦力の台頭により、今シーズンの北川はまだなでしこジャパン入りを果たせていないが、強烈な左足のキックを武器に、何度も左サイドを駆け上がる姿は健在だ。失われた時間を取り戻すべく、さらなる成長を続ける彼女が見据える先は、もちろんなでしこジャパンの舞台。

世界基準のエリート選手を育成する機関「JFAアカデミー福島」を卒校して、今シーズンで3年目。北川ひかるが経験してきた『けが』をひとつのキーワードに、自らの現在地と未来について語ってもらった。

(インタビュー日:9月12日)

©Getty Images

――あまり振り返りたくない話題かもしれませんが、今回は『けが』をテーマに据えながらお話を伺いたいと思います。サッカー選手であれば、誰でも大小のけがはつきものと思いますが、北川選手はこれまでどのくらいけがをしてきたのでしょうか?

「アカデミー時代を振り返ると、当時の私は、かなりけがが多い選手だったように思います。それこそ、数え切れないくらいしてきました。でも、アカデミー時代は筋肉系のけがが大部分で、それも長期間チームを離れるわけではなく、1〜2週間くらいで復帰できるようなものばかりでした」

――それらは、どんなことが原因だったのでしょうか?

「今振り返ってみると、自分のメンタルの弱さが原因だったような気がしています。当時の私はちょっと神経質なタイプで、少しでも痛いところがあれば、すぐに『これはやばいんじゃないか?』と思ってしまい、プレーできないこともないのに試合や練習を休んでしまっていましたね。当時と比べると、今は筋力も上がっているから、筋肉系のけがは少なくなりましたが、けがすることに必要以上に怯えていたので、そういうメンタルが弱い自分という存在にも、当時は気付いていませんでした」

「親は私のことを信じて見守ってくれていた」

――アカデミー時代を経て、19歳で初めてなでしこジャパンに選ばれましたが、その試合中に右足を骨折しました。

「これまでのサッカー人生で、一番大きなけがでした。先ほどお話ししたように、それまでは筋肉系のけがばかりだったので、最初は松葉杖を使っている自分の姿が信じられないくらいでした。アカデミー時代のけがは、数週間後に復帰が見えているものばかりだったので、骨折して長くサッカーが遠ざかってしまうことは、こんなにつらいんだとあらためて感じました」

――リハビリ中は、やはり気持ちも落ち込みましたか?

「はい。かなりきつかった思い出があります。スポーツはやっぱり競争の世界なので、自分が練習していない時間に、みんなが練習や試合を経験して成長していくのが、すごく不安に思えてくる時期もありました。リハビリ中はどうしても孤独になってしまい、メンタルが不安定になってしまう時もあって、どん底まで落ちた時には、サッカーをやっていけるのかなとまで考えました」

――そんな状況を、北川選手の周囲はどのように見ていたのでしょう?

「私の親は、心配してくれている中でも、けがをする前と同じように接してくれました。LINEの回数が増えるというわけではなく、基本的には、私のことを信じて見守ってくれているという感じです。私にとっては、それがとてもいい距離感でしたね。

 仮に毎日連絡してきてくれたとしても、それはそれで、プレッシャーに感じるんじゃないかと思います。たまにお母さんに『この先もちゃんとサッカーやっていけるかなぁ』ってLINEを送った時には、『ひかるなら大丈夫だよ』と励ましてくれていました。応援してくれているんだなと実感できるだけでも、自分の力にもなったと感じています」

――そんなことを実感できたのは、けがをしたからともいえるかもしれませんね。

「はい。今振り返れば、良かった面も見つけることができています。リハビリは国立スポーツ科学センター(JISS)を利用していたんですが、そこでは、他競技のアスリートの人たちが多くいました。さまざまなけがによってJISSを訪れることになり、一生懸命にリハビリをしている人たちとも交流していく中で、またサッカーがしたいっていう気持ちを毎日持ち続けていると、『リハビリ期間で強くなることができる』という考え方や、『けがをしてみないと気付けなかったことや、自分に足りないことがあるはずだ』っていう、明るくポジティブな気持ちになれました」

なでしこジャパンは常に目指している、いなきゃいけない場所

――右足骨折から復帰して、昨季は再びなでしこジャパンに招集されるようになりましたが、その一方、今季はまだ一度も招集されていません。

「クラブやなでしこジャパンでまたプレーできるようになったことは、本当にうれしかったんですが、自分が思うような高いパフォーマンスがしっかり出せていたかというと、はっきりいって、そんなことはなかったと思います。パフォーマンスを高めていって、クラブで試合に出続けていれば、また代表に呼ばれるチャンスはあると信じながら、今はプレーしています」

――初招集、代表離脱、復帰を経験したからこそ、なでしこジャパンに対する気持ちも一層強いのかもしれませんね。

「私にとって、なでしこジャパンは常に目指している場所であって、同時に、そこにいなきゃいけないという場所です。初招集の時は19歳で一番下の年代でしたが、今は私よりも若い選手も入っています。『まだまだ若い』と言われることもあるんですが、自分の中ではそういう意識はありません。本当なら代表に定着していないといけないくらいです。

 私がけがをしている時期に、同世代の選手がなでしこジャパンで活躍しているので、正直にいって焦りもあります。『あんなタイミング(※なでしこジャパン2回目の出場試合中に受傷)でけがしていなければ』と思ったこともありましたが、今はこれも私に課せられた試練なのかなと考えています」

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――再びなでしこジャパンという場所に戻るため、何が必要なのでしょうか?

「私は攻撃が得意な分、守備をもっと磨かないといけないと思っています。試合の中のポジショニングや判断力も、まだまだです」

――来年6月にはFIFA女子ワールドカップ2019フランス大会が開幕して、翌年には東京2020オリンピックが控えています。

「本当に時間がないと感じています。その中で、まずは所属クラブで結果を残していくことが、今の私にできることです。なかなかうまくいくことばかりじゃないのは分かっていますが、とにかく時間を大切にして、私にできることはすべてやっていきます」

――高倉麻子監督には、なでしこジャパンの監督就任前のU-16日本女子代表時代から指導を受けていますが、どのような言葉が心に残っていますか?

「私がけがをしている時期に少しお話しする機会があったんですが、その時は『常にひかるのプレーを見ているから。期待しているよ』と言ってくださいました。気に掛けてくださっているんだなと。あとは自分の努力次第、結果次第だな、と感じています」

――では、最後に今シーズンと、未来について抱負をお願いします。

「まずは所属クラブでポジション争いに勝って、なでしこリーグでいい結果を残して、個人的にはなでしこジャパンという場所に戻ることができるよう、これからも練習に励んでいきたいと思います」

9月19日、特別指定選手として加入してから約3年半にわたりプレーしていた浦和レッズレディースから、アルビレックス新潟レディースへの移籍が発表された。『自分と向き合いながら考え続け、悩み続けた結果』(浦和レッズレディース公式HPより)、決断した新天地での挑戦。自ら『夢を掴み取るその日まで前に向かって進んでいきます』(同HPより)と誓ったように、すべては再びなでしこジャパンで戦うために――。2年後、東京2020オリンピックの舞台で鮮やかにピッチを駆け抜ける彼女の姿が楽しみだ。

<プロフィール>

北川ひかる(きたがわ・ひかる)

1997年生まれ、石川県出身。ポジションは主に左サイドバックで、ディフェンスで対人能力や球際の強さに特徴があるだけでなく、積極的なドリブルやクロスで攻撃の核としての評価も高い。2015年4月、浦和レッズレディースに特別指定選手として加入(2016年に正式加入)。2018年9月、アルビレックス新潟レディースへの移籍が発表された。現なでしこジャパン監督の高倉麻子のもとで、2014年FIFA U-17女子ワールドカップ優勝、2016年FIFA U-20女子ワールドカップ3位に貢献。来年開催のFIFA女子ワールドカップ、そして東京2020オリンピックへの出場が期待される。

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