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東京五輪2020

アスリートインタビュー

北條巧「影響を与えられる存在に」トライアスロン転向4年で日本一となったホープが目指す理想像

2019年10月4日 16:56配信

©竹中玲央奈

幼い頃から親しんできたのは競泳だったが、思うように結果が残せずもどかしい日々を送っていた。そんなもどかしい時期にひょんなことからトライアスロンと出会い、わずか4年で日本選手権を制するまでの急成長を遂げた北條巧選手(博慈会、NTT東日本・NTT西日本所属)。そんな男子トライアスロン界期待のホープに、転向の経緯や急成長の要因、東京五輪への思いを聞いた。

(取材・構成=高木遊、写真・撮影=竹中玲央奈)

苦悩の競泳選手時代

――競泳選手時代はどんな選手だったのでしょうか?

「小学2年生からずっとバタフライをやっていて、小中高と全国大会には出ていたのですが、そのレベルで止まっていました。小学4年生の時にジュニアオリンピックのリレーで優勝できたのですが、個人では全部出場して終わり(予選敗退)でした」

――やはり、もどかしい気持ちはありましたか?

「オリンピックに出たいという気持ちはあったのですが、高校生くらいになると実力もわかってきて・・・。練習は凄く頑張っていたという気持ちはあっただけに“センスが無いのかな”と思い、高校入る時も続けようかと迷ったくらいでした。だから大学では勉強で進学して、大好きなサッカーをサークルとかで楽しもうかと思っていました。もともと小学校のときはサッカーをしていたので。」

――そんな中でトライアスロンに出会ったきっかけは、何だったのでしょうか?

「高校2年生の秋に、父親が自転車にハマり始めたことでトライアスロンを知り、認定記録会の基準記録を見つけて“これイケるんじゃないの?”と言われたのがきっかけです。そして3月に記録会に出ました。エリートの基準記録(スイム+ラン)まであと2秒くらい届かないという結果だったのですが、後日になってジュニアの強化選手の指定になっているとの連絡がきたんです」

――そうした経緯で強化合宿に参加されたんですね。

「はい。確かインターハイの前だったのですが“同じことしていても水泳じゃもう難しい”と思ったのでチャレンジしました」

――初めて合宿に参加された時の感想はいかがでしたか?

「スイムとランはなんとなくついていけたのですが、バイク(自転車)は買ってから1週間くらいで行ったので、途中でついていけなくなりました。U-23の合宿だったのですが、全然スピードやペダリングが違って想像以上のペースでしたね」

――そうした中、日本体育大(以下、日体大)でトライアスロンを始めるというのは、勇気がいることだったと思います。

「(通っていた熊谷高校は)文武両道の学校だったので受験勉強をしていたのですが、当時日体大でコーチしていた若杉(摩耶文)さんに“トライアスロンやらないか?”と誘われ、大会にも来てくれましたし、高校に願書も持ってきてくれました。また、水泳部の顧問だった宍戸純先生が“勉強はいつでもできるけど、オリンピックを目指せる人はひと握り。狙ってみたらどうか?”と言ってもらい決断しました」

©竹中玲央奈

飛躍のきっかけ

――転向当初はどんなことが大変でしたか?

「やっぱりバイクが日体大の中でも全然ついていけなくて、部活の練習で精一杯。目標もしっかり持てていませんでしたね」

――そこから4年で昨年の日本選手権優勝まで行くわけですが、急成長の要因はどんなところにあるのでしょうか?

「大学2年生の時に出場したインカレが大きかったです。日体大として団体優勝を目指していましたし、個人として表彰台も狙っていました。なのに熱中症で途中棄権してしまい、チームに迷惑もかけてしまいましたし、表彰台にも同学年の選手たちが上がっていて、“自分は何をしているんだろう・・・”と。それで目も覚めました」

――このままじゃいけないと思ったわけですね。

「このことがきっかけで、チームの練習だけでなく、テーマを持って自主練習をするようになったり、自分の足りないところを考えながら競技に取り組めるようになりました。それが昨年の日本選手権を優勝できた要因かなと思っています」

――3年時の日本選手権では4位入賞、やはり昨年4年時の日本選手権は優勝を狙って大会に臨まれたのですか?

「3年の時は目標が“6位以内”で4位でした。その時にコーチから“3位以内に入っている選手は皆優勝を狙っているから、それでは勝てない”という言葉を聞いて、常に上を目指さないといけないと認識しました。それからはどんな大会でも優勝を狙うようになりました」

©竹中玲央奈

東京五輪への思い

――ご自身の武器はどのように考えていますか?

「武器は継続してできる練習量ですね。また、これまで大きな怪我もありませんし、どこの国に行っても食事や時差ボケで困ることもありません。ただ、レースの中では、世界と戦うと考えた時に武器を感じられないようになってきてしまっています。スイムはずっとやってきたところなので大切にしています。とにかく前の方でスイムを上がれるようにと思っています。今の実力で上位へ入るには、少人数で逃げて粘るという展開しか考えられないので」

――来年に迫った東京五輪への思いを聞かせてください。

「“間に合うギリギリの世代”だということは競技を始めた頃から言われていたのですが、そのチャンスがこんなにも近くに来ている。これはラッキーというかタイミングが来ていると感じています。今までは漠然と“出場したいな”と思っていたのですが“出るだけじゃ面白くないな”という気持ちが出てきました」

――やはり優勝争いやメダル争いをしていきたくなったのですね。

「はい。たとえメダルは獲れなくてもメダル争いをしたいと思えるようになってきました。自分自身も強くなっている実感がありますし、応援をしてくれる人も増え、自分の真似をしている後輩も出てきたり、人に影響を与えられる存在になってきた自覚があります。オリンピックで活躍していろんな人に影響を与えられるようなレースがしたいです。2024年のパリ五輪もチャンスはありますが、トライアスロンを有名にするチャンスは東京が大きいのかなと思います」

――トライアスロンの魅力はどんなところですか?

「努力した分だけ結果につながるところですね」

――好きな言葉を教えてください。

「X JAPANのHIDEさんが仰っていた“前に道のある事をなぞってもONE & ONLYにはなれない”ですね。音楽とスポーツではジャンルが違いますが、人に影響や勇気を与えられるようなことを、スポーツを通してしていきたいです」

©竹中玲央奈

[PROFILE]

北條巧(ほうじょう・たくみ)

1996年4月7日生まれ、埼玉県北本市育ち。熊谷高までは競泳に取り組み、日本体育大学から本格的にトライアスロンへ転向。博慈会、NTT東日本・NTT西日本所属。172cm62kg。

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