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東京五輪2020

アスリートインタビュー

春高バレー経験者がけがを契機にシッティングバレーへ。田澤隼がめざす世界の舞台。

2019年12月5日 11:47配信

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©竹中玲央奈

シッティングバレー日本代表強化指定選手の田澤隼選手は高校時代、バレーボールで全国大会出場を経験している。その後、事故で怪我をし競技が続けられなくなってしまったことをきっかけに、シッティングバレーを始めた。

地元・青森では農作業の手伝いをしていたというほど自然に囲まれた環境から一転、現在は上京し活動している。「シッティングバレーを多くの人に知ってもらいたい」という思いから、東京五輪でのメダル獲得を目指し競技を続けている。

(取材・文=星野奈津子、写真=竹中玲央奈)

バレーからシッティングバレーへの挑戦

――競技を始めたきっかけを教えてください。

祖父母がリンゴ畑の仕事をしています。そのため、休みのときには家族で農作業の手伝いをするのですが、その時に事故にあってしまい、右脚の大腿切断で義足になりました。

義足になってからもスノーボードやバレーボールなどを楽しんでやっていました。ある日、障害者スポーツセンター主催の義足で走るイベントに参加した際に、シッティングバレーという競技を紹介していただき、見学に行きました。

最初は見学だけのつもりでした。でも、当たり前のように「やってみないか?」と誘われて、一緒にプレーをして、そこからのめり込んでいきました。

――事故にあった時の心境はどういったものだったのでしょうか。

ICUで目が覚めたときには足がなくて、「ああ、切ったんだな」と理解しました。そのときにバレーボールはできないなと受け入れたのですが、何とかしてスポーツはやりたかったんです。その後、一般病棟に移り、自分が所属していた社会人チームのメンバーが大会の帰りにお見舞いに来てくれたんですよ。

メンバーは皆、ユニフォームを着ていたので、そのとき自分もユニフォームを着て写真を撮りました。そこで「またバレーをやろう」と言ってもらえたことは忘れられません。そういう面では仲間に恵まれたといえますね。あれがあったからこそ、今もバレーを続けられています。

――田澤選手はバレー経験者ですが、シッティングバレーの難しさはどういうところがありますか?

手に怪我をしたわけではなかったので、ボールタッチなどは大丈夫でした。自分はもともとバレーボールをやっていた時も、リベロだったのでレシーブは出来ると思っていました。ですが、シッティングバレーでは、普通のバレーボールと違い、手に当てる部分も全然違うし、ボールが来るタイミングも違うので、慣れるまでに結構時間がかかりましたね。

タイミングが違うというのは、普通のバレーボールであれば、ボールが自分に来るまでに距離があるので長く待てるんです。ただ、シッティングバレーは3m程度の距離間で打たれるので、それに追いつくのが難しいんです。ずっと拾い続けないといけない。大変でした。

また、動きが難しかったですね。移動においても手を使わないといけない。移動の際に、つい、足を出そうとしてつったり大変でした。

世界と戦うということの難しさ

――強化指定選手に選ばれた時の気持ちはいかがでしたか?

全日本に選ばれることは健常者のバレーボールではなかったことですし、不安もありました。しかし、自分が選ばれたからには、日本を強くしようという思いでした。

――世界と初めて戦ったときはいかがでしたか?

世界と初めて戦ったのは2017年のアジア・オセアニア大会です。世界ランク1位のイランと対戦した際に、レシーブが強みだということが分っていたので、気をつけていたのですが、実際に対戦すると、想像を超えた強さで。スパイクはじめ攻撃を一方的にやられてしまって、とても悔しかったです。そこからもっと競技を極めたい、精神的にも成長しなきゃいけないと感じましたね。

――東京五輪まであと1年ですが、心境はいかがですか?

少し焦りがあります。目標に向かってチームをどうまとめていくかが課題と考えているので、チーム内でコミュニケーションも密に取っていきたいです。もちろん、技術的にも向上させたい部分があります。

――田澤選手は春高バレーへの出場もされていますし、選手として高みをめざす思いは強いのかなと

高校生の時は、選手として限界まで高みを目指したいと思っていました。でも、高2のときに全国の予選で何も出来ずに負けてしまい、それがとても、悔しかったんです。その時に改めて競技に対して真摯に向き合うようになりました。この経験がなかったら挫けていたかもしれません。

――春高の試合で負けた、という挫折感を味わった時に、離れる決意をしなかった理由が気になります。諦める人もいるのかなと。

諦める方もいるかもしれませんが、もともと負けず嫌いで。足掻くじゃないですけど、泣くぐらい悔しかったので、それをバネにして、競技に対して向き合っていこうという風に考えが変わりましたね。

――では、シッティングバレーを始めてから、悔しくて泣いたことはありますか?

2019年の6月にアジアオセアニアのパラの予選がありました。前年の2018年のアジアパラ競技大会では、韓国に勝って6位でしたが、今年は韓国に負け、さらにランキングが下のカンボジアとインドネシアにも負けてしまいました。負けたこともショックでしたが、何より自分が何も出来なかったことが悔しくて、そのときに涙しましたね。

メダルを取って、シッティングバレーを知ってもらいたい

――青森のご出身とのことですが、上京してプレーをするという選択をされたのはなぜでしょうか?

地元愛は強いです。青森でやれるならやりたかったのですが、シッティングバレーを続けるのであれば、競技機会の多い関東でしかできないと考えました。毎回、上京に際しての交通費や宿泊費がかかることになるので、それなら、関東に出てきた方がいいなと思いました。一大決心でしたね。家族にも、「本当に行くの?」と驚かれました。

いざ東京に出てきて、空気の違いを感じます。高いビルが多くて、青森に比べて、空が見えにくいなという感覚もあって…。上京当初は、そういった環境面にも慣れるのが大変でした。

――上京してでも、周囲の応援に応えたいところがあったのでは?

競技をやる上で中途半端は嫌で、関わるのであれば強くしたいという思いがあります。バレーをやってきたという自分の経験を還元していかなければいけないという責任感があります。そして、もっと多くの人に、この競技を知ってもらいたい、やってもらいたいという思いが強いんです。

現在は北は青森、南は広島までしかチームがない状況なので、シッティングバレーの普及活動も積極的に行っています。千葉の方では、小学校や企業に協力してもらって授業に取り入れてもらっています。シッティングバレーは健常者でもできますから、さらに認知が広まって選手が増えれば、チームも増えてきます。そうなると、競技としても面白くなるのかなと思いますね。

――認知度を高めるという点でも、来年に結果を残すことはとても重要になりますね。

東京五輪での目標はメダル獲得です。でも、そこで終わらせたくないですし、競技をもっと知ってもらって、全国各地に普及していければなとも思っております。

パラスポーツは、健常者も障がい者も全て関われるので、その中で繋がりも作りやすいのかなと思っています。多くの方がパラスポーツのことを知ってもらえるだけでも社会全体が変わっていくと思います。自分がこの役割を担えればいいですね。

[PROFILE]

田澤 隼(たざわ・じゅん)

1993年3月4日生まれ。青森県出身。シッティングバレーチーム千葉パイレーツ所属。弘前工3年の時に春高バレーに出場。弘前学院大時代にシッティングバレーと出会う。全日本強化指定選手。リクルート所属、リクルートオフィスサポート勤務。

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