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東京五輪2020

アスリートインタビュー

「スポーツ選手そのものの価値を上げたい」ボート中野紘志の語る決意

2020年3月11日 11:35配信

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©中村僚

意外にも五輪の歴史は古く、1900年の第2回パリ大会から行われているボート。日本は第9回アムステルダム大会より参加している。直近の第31回リオ大会では、男女4選手2チームが参加し、それぞれ15位、12位という成績を収めた。

そのリオ五輪に出場し、次の東京五輪にも選出が濃厚なのが、中野紘志。彼がボートを始めたのは、なんと大学時代から。19歳で初めてボートに触れ、その2年後には世界大会で準優勝を飾っている。

ボート以外にもさまざまな経験をし、その度に挫折を経験してきた中野が、日本代表にまで上り詰めることができた理由とは? そして、マイナー競技をプレーするからこそ抱くスポーツへの想いとは? 五輪選考会を目前にした中野の心情を聞いた。

(取材・文・写真=中村僚)

――中野さんがボート競技を始められたきっかけを教えてください。

中野:小学校で水泳、中学校でサッカー、高校でテニスと陸上をプレーしていました。一年浪人して入学した一橋大学では、勉強に専念するつもりだったのですが、受験の時にさんざん机に向かったのでもう勉強したくないし、周囲の学生たちに勉強で勝つこともできないだろうと悟り、スポーツしかないなと思い直しました。小中高でさまざまなスポーツに挑戦して、その度に挫折してきましたが、学生時代の最後に自分が「スポーツができる人」なのか「スポーツができない人」なのか、自分自身にケリをつける意味でも何かやってみたいと思っていました。

ボート競技は先輩に「大学から始めてもまだ間に合う」と言われたことがきっかけで選びました。アメフトとラクロスも誘われましたが、球技にいい思い出がないんですよね。どちらも瞬発力が必要なスポーツですが、僕は足が遅いので向いていません。本当は球技が大好きですが、向いているかどうかは別の話です。僕は持久力系の人間だし、地道な練習をする競技の方が向いていると思ったので、ボートを選びました。

――過去に多くの競技を経験したことが、ボートに生きている面はありますか?

中野:実は何度もボートをやめようと思ったのですが、過去にいろいろなスポーツをやめてきた経緯が糧になり、「ここでやめたら終わり」と考えて耐えられたと思います。もうこれ以上は途中でやめられないと思いましたから。スポーツを苦い思い出にしたままで一生を終えるのは、どうしても嫌だったのです。

©中村僚

――初めてボートに乗った時はどんな感覚でしたか?

中野:最初は開放感のようなものを感じました。ボートに乗って水に浮かんでいると誰も近付けないので、現実逃避というか、何も持ち込めない感覚です。水の上で一人浮かんでいる孤独感が楽しかったです。ボートには二人乗りや四人乗りの競技もありますが、一人乗りの誰にも干渉されない点が最初に好きになったポイントです。

――ボートは、孤独感の中で自分を高めていく競技なのでしょうか。

中野:その一面はあると思います。ただ、僕がボートを続けられたのは同期や先輩が一緒に頑張ってくれたからです。ボート競技は一人乗りの個人競技も、二人乗り以上の団体競技も選べることもあり、飽きにくいんですよね。

――中野さんから見たボート競技の魅力とは?

中野:人と仲良くなりやすいところでしょうか(笑)。二人乗り以上の場合、全員が同じ動きをしなければならないので、お互いが密着度の高い時間になるんです。全員が同じ方向を向いて、自分はチームメイトの背中を見ているし、他の人には自分の背中を見られている。前後の人を感じながら呼吸を合わせて動きます。

また、二人乗り以上でレベルの高い人と低い人がいる場合、もちろん高い人に合わせた方がいいのですが、それができない場合はレベルの高い人が低い人に合わせて、低い人ができるレベルで全員の動きを合わせます。一人が突き抜けていると逆に難しい。八人乗りの時、実力的にデコボコのレベルの人が八人いるより、中くらいの人が八人揃う方が速くなるんです。「レベル」というのは、オールを漕ぐ力、速さ、回転数などですね。

©中村僚

――初心者にはなかなか難しい競技だとイメージしますが、中野さんは大学からボートを始め、短期間でリオ五輪出場という偉業を成し遂げています。

中野:仲間の力ですね。2009年にU23世界選手権で銀メダルを取った時は、僕はボートを始めて二年。まだ技術がなかったのですが、チームメイトにトップレベルの選手が三人いました。年齢的には僕が最年長でしたが、ずっと怒られながら漕いでいましたね。世界大会準優勝はもちろん初めてで、国内の全国大会の決勝すら経験したことがありませんでしたから。さまざまな競技を経験して、そのすべてで挫折して、次こそ結果を出すという決意で始めたボートでしたが、実際に結果が出てみると浮世離れしている感覚でした。

――「スポーツで結果を残したい」との思いはすでに達成されているかと思いますが、現在はどんな点にモチベーションを見出しているのでしょうか?

中野:リオ五輪選考の時も日本の中では一番の成績でしたし、他の大会でも何度か日本一になっているので、目標のひとつは達成できました。また、五輪出場も大きな目標だったので、それも叶えられました。

ただ、リオ五輪に出場した時、メダルを獲得した選手たちとの実力の差が大きすぎて、15秒もタイムを開けられてしまって、途方に暮れた時期がありました。社会人になってもボートという認知の低い競技を続けるなら、五輪に出るくらいでないと意味がない。その目標である五輪にたどり着いたのに、世界との差があまりに大きすぎたんです。

現在はその差を縮めることをモチベーションに競技を続けています。2018年には海外でボートの練習や勉強をして、現地の文化を少しだけ知ることができました。東京五輪は差が縮まったかどうかを確かめに行く大会だと思います。まずは、選考会でしっかりとしたレースを見せて、代表に選ばれたいですね。

――いわば五輪でメダルを獲るという目標にシフトしたとも言えると思います。そこからさらに先の目標はありますか? あるいは、どのように目標が変わっていくと思いますか?

中野:僕はこれまでに誰もやったことをないことをするのが好きなんですよね。一橋大学を受験したのも、自分の高校から受験する人がそれまでいなかったからで、大学でスポーツをやろうと思ったのも、一橋の学生の中にスポーツで結果を残している人がいなかったからです。おそらく五輪が終わった後も、今まで五輪に出場した選手が選ばなかった道を選ぶと思います。スポーツ選手は競技だけじゃない、もっといろいろなことができるすごい人なんだと思ってもらいたい。そうすることで、スポーツ選手全体の価値が上がっていくと思っています。

正直、スポーツ選手はスポーツしかできない人、というイメージが定着している気がしますし、選手側もそれでいいと思っているように感じます。ひとつの競技にたくさんの努力を投下できた人は、他のことでもハマるものがあればたくさんの努力をできるはずなのに、選手本人が自分の選択肢を狭めてしまっています。僕はそれがもったいないと思います。僕はまだボートしかできないですけど、この先は別のことにチャレンジして結果を残していきたいです。

©中村僚

――そういった感覚を持てるスポーツ選手はなかなかいないと思います。

中野:プロ選手として独立する前は、会社に勤めてサポートしていただきながらボート競技を続けていました。当時は「ボートという競技は会社にとって何の意味があるんだろう」と考えていたんです。給与を毎月もらいながら「自分は会社に貢献しているのだろうか?」と常に疑問に思っていました。ボートの全日本で優勝しても、新聞記事に会社名が2、3行載る程度です。NHKが全日本選手権を1時間テレビ放映してくれることもありますが、頻繁に放送されるわけではありません。僕がボートに乗っていてもその程度の広告効果で、会社にとって本当に投資価値があるのかどうか?

同じような負い目を感じている選手は、練習のために業務を途中で抜ける時に、他の社員に後ろめたさを感じています。僕は、それが対等な関係であってほしいんです。「実業団」という形式があるから社会人になってもスポーツを続けられる人がたくさんいる事は事実ですが、選手が会社に貢献している実感がもっとあれば、他の社員とも対等な関係でいられると思います。そのために僕は、スポーツ選手そのものの価値を上げたいんです。

そのためにも、やはり目先の東京五輪で結果が必要です。メダルを獲得することで僕が新聞やテレビに出て、自分を支えてくれている人たちの紹介もできます。「五輪メダリストがこの町で育ちました」と報道されて、育った町の人たちを喜ばせたい。一方で、結果を残すだけではダメなんです。スポーツは人に見てもらえて初めて成り立つもので、いくら結果を残したとしても、それを見てくれている人がいないと意味がありません。日本でよくある「今回の五輪ではメダルを〇〇個獲得」や、選手が「結果だけ見てください」と発言するのは、僕は違うと思います。勝てばいい、結果を残せばいい、ではないんです。短い選手生命の中でも、必死に努力することによって人は変われる。その経験が、長い人生の中で応用できる。スポーツにはその力があるし、僕はその力と価値を伝えていきたいんです。僕がメダルを取ることでボートに注目が集まり、その背景にあるストーリーにも目を向けてくれたらと思います。

©中村僚

[PROFILE]

中野 紘志(なかの・ひろし)

1987年生まれ。石川県金沢市出身。一橋大学商学部卒。「まだ間に合う」と勧誘を受け、大学からボート(漕艇)を始める。2009年U23世界選手権で銀メダルを獲得。2016年リオオリンピック日本代表。

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