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東京五輪2020

アスリートインタビュー

視覚障がい者に「こういう道もある」と示したい。パラローイング・有安諒平の思い

2020年3月18日 13:20配信

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©竹中玲央奈

2020年に開催される東京パラリンピックでは、肢体が不自由な人や視覚障がい者を対象としたパラローイングと呼ばれるボート競技が行われる。5人が1つのボートに乗り込み、全身の筋肉をオールに乗せ、タイムを競うタフなスポーツだ。

種目はボートの種類によって分けられている。シングルスカル(1人乗り)、ダブルスカル(2人乗り)、舵手付きフォア(5人乗り4人漕ぎ)の3種目である。さらに障がいにも規定があり、シングルスカルとダブルスカルは下肢に障がいを持つ選手が対象となる。

唯一障がい混成で行われる舵手付きフォアは、視覚障がいを持つ選手と肢体に障がいを持つ選手男女2名ずつと、障がいの有無を問わないコックス(舵手)が参加する。この種目のキーマンとしてパラリンピック東京大会でのメダルが期待されるのが有安諒平選手だ。

4年前に柔道から転向してきた新鋭に、現在の活動内容や東京2020年パラリンピックへの思いを聞いた。

(文・写真=竹中玲央奈)

当初は障がいを受け入れられなかった

ーー日刊スポーツの記事「パラローイング有安諒平からの手紙」を拝見しました。有安選手自ら「パラローイングの認知度をあげて東京2020年パラリンピックを盛り上げたい」という熱量のある内容の手紙を、日刊スポーツに送ったそうですね。

有安 パラローイングは認知度が低いスポーツなので、練習をするための十分な環境が整っていません。まずは、いろんな人に競技のことを知ってもらうことで、サポーターや支援いただける方を増やしたいと思っています。

現在はSNSを使って競技のことを発信したりしていますが、競技を始めた当初は新聞社や記者さんを探して、取材をしてもらえないかお声がけをしていました。その中で、日刊スポーツさんに、「パラローイングについて取材いただけませんか」という手紙を出したら、快く取材いただけました。

ーーパラローイングを始めるまで、あまりスポーツをしていなかったと伺っています。いつ頃からスポーツをするになったのかを教えてください。

有安 自分の目が悪いことを受け入れざるを得ないので、スポーツは嫌いだったんです。視覚障がいを発症したのがちょうど思春期の頃で、当時は障がいを受け入れられませんでした。変わったのは、パラスポーツに出会ってからです。

ーー目が悪くなったことは、徐々に実感するものなんですか?

有安 僕の場合、徐々に悪くなっていきました。小学生の時、黒板が見えないなと思って席を前にしてもらったり、メガネ屋さんに行ったりしました。小学生の時点では、目の病気の診断が出なかったんです。

15歳になり「黄斑ジストロフィー」の診断を受け、視覚障がい者になりました。大学生になってさらに視力が低下し、ある日自転車を漕いでいたら縁石が見えず、車と接触し事故を起こしました。それから、自転車には乗らなくなりましたね。そこから徐々に悪くなっていき、現在に至ります。今の視力だと、人影は分かりますが、男性か女性かは喋らないとわかりません。

ーーちなみにですが、白杖を使い始めたのはいつからですか?

有安 20歳後半ですね。視力が低下していく中で、夜に人とぶつかるようになった頃です。相手に目が見えていないことを知らせるために、白杖を持つようにしました。人とぶつかってしまった時、白杖を持っていないと説明をするのが大変なので(笑)

ーー徐々に見えなくなっていく怖さはあったのでしょうか。 

有安 怖さはあまりなかったですね。パラリンピック出場権利のチケットを手にしたので、むしろラッキーだったと思います。大学生の時まで自分以外の視覚障がい者と出会ったことがなくて、目が悪いことをあまり悲観的には捉えず、周りの人と同じように生活してきました。

強いて言うならば、社会人になってから自分の目が悪いことによって、「業務に支障をきたす」と感じた時は、少しだけ不安になりました。

©竹中玲央奈

パラリンピックは、オリンピックと比べると敷居が低い

ーー本職は、医療職だと伺っています。

有安 はい。障がいを受け入れられない方たちの話を聞いたり、リハビリを行なったりします。

ーーパラアスリートの方は前向きな人が多いように感じますが、医療職をやっていてそういった傾向は感じますか?

有安 そうですね。パラアスリートは、自分の障がいを前向きに捉えて、明るくスポーツに取り組んでいける人しかいません。病院にいる人はそうではない人も多いんです。「パラアスリートを目指すぞ」という思いに気持ちを切り替えられるのはごく一握りの人だけかなと思います。

やはり、普通に考えて手足を切断したり、目が見えなくなったりするのはショックですから。でも、自分がパラリンピックを目指して頑張ることで、「こういう可能性もあるんだよ」と伝えられたら嬉しいです。

ーーもともとは柔道をやっていたんですよね?挑戦してみようと思ったきっかけを教えてください。

有安 20歳のとき、自分と同じ視覚障がいを持つ友達が柔道を紹介してくれたことがきっかけで8年間続けました。もともとは柔道でパラリンピックを目指していましたが、代表にはなれませんでした。柔道の世界にも上には上がいて、なかなか(日本代表の)壁を超えることはできませんでした。

ーー柔道を辞めたのはいつ頃ですか?また、辞めるに至ったきっかけを教えてください。

有安 2016年なので、4年前くらいです。結果が伸び悩んでいた頃、東京都主催のパラアスリートを発掘するためのイベントに参加したのがきっかけです。そこで自転車や陸上競技などいろいろな競技に挑戦しました。

その中で、協会の人の反応が1番よかったのがボート競技だったんです。相手を攻める柔道のようなスポーツではなく、タイムを伸ばしていく競技の方が、自分に向いているということに気がついたんです。

ーー8年間も続けた柔道に未練は無かったんですか?

有安 正直少し未練はありました。柔道自体はすごく楽しかったですし、視覚障がい者同士のコミュニティでは、友達同士お互いに気を使わなくて良いので居心地が良かったんですけどね。

ーー「やってみよう」という気持ちだけで、8年間続けたスポーツから切り替えられるのは凄いですね。

有安 パラリンピックは、オリンピックと比べるといい意味で敷居が低いんです。競技人口が少ない分、努力した結果が競技団体や他の選手達に伝わりやすいし、代表クラスの動きや競技への姿勢を肌で感じるまでの距離が短いんです。目指す人達の近くにいられる環境が気持ちを支えてくれました。たしかに、柔道とボートでは、競技内容が全く異なります。それでも、挑戦することを惜しまないようにしていたら、いつの間にかパラローイングにのめり込んでしました。

©竹中玲央奈

根拠のない自信と、前向きな気持ちが導いたパラローイングの世界

ーー初めて体験会でボートをやってみてどうでしたか?最初からできるものなのでしょうか。

有安 最初はできるものだと勘違いしてしまったんです。公式の大会では、約7~8分間で2,000m漕がないといけません。ただ、体験会で漕いだのは100mだけ。この時は、柔道をやっていた時の筋トレ感覚で漕げました。それを見たイベントのスタッフに「100m漕げれば2,000mもいけるよ」と乗せられて、それをきっかけに「自分ならいけるかも」と思ってしまったんです(笑)。

ーー実際に競技を始めてみてどうでしたか?

有安 2,000mという長距離を、ボートで漕ぐのはとても辛かったです。100mだけ漕ぐ時とは使う筋肉の質が違います。筋肉の質を変え、動きも効率的に漕げるようにしないといけないんです。

ーー東京大会まで半年を切りました。手応えはありますか?

有安 そうですね。大会出場歴が浅い選手が多い分、われわれのチームは、まだまだ伸びしろがあります。大会を経るごとに、タイムが上がってきています。この調子でいけば5月の最終予選で、パラリンピックへの出場権をつかみ取れると思います。

東京2020は、パラローイングの認知度を上げて、競技人口を増やすことができるチャンスだと思っています。そのために、本番でパフォーマンスを発揮するということが重要だと思います。

ーー大会後も見据えた、長期的な目標を教えてください。

有安 パラローイングは特にマイナーなスポーツなので、競技レベルの底上げや、継続的に競技環境を良くすることを視野に入れつつ、次のパリで行われるパラリンピックに向けてできることをやっていきたいです。もっとパラローイングを盛り上げていくことで、まずは誰でも練習できる環境を整えていきたいです。

[PROFILE]

有安諒平(ありやす・りょうへい)

1987年2月2日生まれ。米サンフランシスコ生まれ東京都育ち。15歳の時、黄斑ジストロフィーの診断を受け、視覚障がい者となる。自由学園高等科、最高学部を経て、2年時に筑波技術大に転学。理学療法士を目指すと同時に柔道を始める。28歳で杏林大医学研究科博士課程入学。生理学系身体機能制御学専攻で神経生理学を研究している。その後、柔道からパラローイングに転向。2018年9月世界ボート選手権大会に出場し、4位にランクイン。2019年に日本ボート協会指定強化選手となる。

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