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アスリートインタビュー

片手で挑む自分との闘い。“好奇心”が呼んだ山内裕貴と射撃の出会い

2020年3月23日 15:35配信

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©山本晃子

ライフルまたはピストルで遠方の円状の的に対し決められた弾数を撃ち、その合計得点を競うのがパラ射撃。銃の種類や射撃体勢、そして障がいの状態により分けられた13種目がパラリンピックで行われる。

その中のP1種目 (上肢または下肢障がいを持つSH1クラス男子を対象にした10mエアピストル) で活躍するのが山内裕貴(やまうち・ゆうき)だ。2017年11月にタイ・バンコクで行われたW杯に出場し、2018年5月に韓国・全州世界選手権で東京2020パラリンピック出場資格獲得のための標準点を突破。同年にはインドネシア2018アジアパラ競技大会に、2019年にはオシエクWSPSワールドカップへ出場するなど多くの実績を持つ。2019年度、2020年度の強化指定選手でもある山内選手の競技歴はわずか4年。短期間でここまで登りつめた彼のストーリーに迫った。

(取材=竹中玲央奈・荻本祥文、文=荻本祥、撮影=山本晃子)

射撃を始めるまで、様々なスポーツに挑戦していた

――山内選手は、射撃にたどり着くまでにいろいろなスポーツを経験してきたと伺っています。これまでやっていたスポーツは、どんなものがありますか?

山内:水泳、サッカー、卓球、陸上、ハンドボール、ダーツなどです。

――そこまで多種多様のスポーツを経験してきたアスリートの方はなかなかいないですよね。

山内:あまり長続きしなかったことも理由なのですが…基本的には体を動かすのが好きなので、色々なスポーツに挑戦してきました。

――射撃に出会うまでに経験してきたスポーツの中で、プロになろうと思ったことありましたか?

山内:ありませんでした。昔はその先まで見据えてスポーツをするということができなかったですね。純粋にそのスポーツが楽しいからやっているくらいで、本格的に競技として始めようと思ったのは射撃が初めてでした。

©山本晃子

17歳で失った右手の神経

――山内選手は、17歳のころに交通事故に遭い、右手の神経を失ったと聞きました。

山内:バイクでまっすぐ走っていたら、横から出てきた車と衝突しました。その結果、右手の神経が根元から引き抜かれ損傷し麻痺(まひ)してしまいました。バイク事故に多い怪我なんですけど、僕の場合は、神経の大元がダメになっており、接合ができない状態でした。

――事故直後の状況を教えてください。

山内:「あれ、自分何してたんだっけ?」と思い、ふと目を開けたら地面に倒れ込んでいて。次に目を覚ましたら救急車のなかにいて、またふと気づいたら病院に。右手はものすごい痛みで、病院の先生に叫び気味の声で「助けてください」と言った記憶があります。

©山本晃子

――右手の感覚を失った時の心情は?

山内:自分よりも親が心配してくれたおかげか、自分自身は「左手は今まで通り動くから、なんとかなるだろう」くらいの感覚でした。右手が動かないからショックだ、という気持ちはそこまでなかったですね。

祖父が射撃と巡り合わせてくれた

――お祖父様が大工であり猟師だと伺っています。小さいころから猟師に憧れがあったんですか?

山内:そうですね。ただ、猟師への憧れというより、祖父への憧れの方が強かったです。祖父が実際に銃を撃つ姿を見てはいないのですが、小さい頃から山に連れて行ってもらっていました。家に帰って、台所で祖父が目の前でイノシシをさばいていました。そんな祖父の野性味溢れるところに憧れを持っていました。

――競技として射撃を始めようと思ったきっかけはありますか?

山内:射撃をやる上で、やはり最初は祖父への憧れがメインでした。具体的なきっかけは、山口で行なわれたビームピストルを使った射撃の体験会に参加したことです。

体験会に行った頃、ちょうどダーツにハマっていたんです。「狙って的に当てる」という動作がダーツに似ていて、射撃をすぐに好きになりました。

――いきなり体験会で正確に的を撃てたのですか?

山内:さすがに体験会では正確に撃つことは難しかったです。ただ、たくさん打って、たまに出てくる10点が嬉しくて。難しさの中に、楽しさがありましたね。やっているうちに、どんどんのめり込んでいました。

強化指定選手になるまでの道のり

――射撃でパラリンピックに出場したいと思ったきっかけを教えてください。

山内:射撃の連盟が発行しているパンフレットに、パラリンピックまでの道のりが掲載されていたんです。こういうステップを踏んで努力すればパラリンピックに出られるという道筋を、自分の中で具体的に想像できました。

自分は結構勘違いをするタイプなので、そのステップを順調に進めば出場の夢に届くと信じて、これまで努力を重ねてこれたのだと思います。そのため、初めての代表選抜には競技を始めてから早いタイミングで入ることもできました。

――「射撃をやる」と伝えた時、お祖父様も喜ばれたのかなと。

山内:喜んでくれて、弾込め用のスタンドを作ってくれたんです。自分は片手だから、弾込めする時には銃スタンドが必要なんですね。大工である祖父が、器用に作ってくれました。

©山本晃子

――競技人生4年目に突入する中で、2017年バンコクで行われたワールドカップで、練習通り的に弾を撃つことができずショックを受けたそうですね。

山内:パラリンピック基準の高い点数を目標にして練習を行ってきましたが、いざ会場を目の当たりにすると、海外の選手が気になって集中できませんでした。勝てる点数を出すためには、さらなるトレーニングや技術が必要なんだって感じましたね。

――海外の大会で、競技に影響している外的要因について教えてください。

山内:海外遠征であることを、あまり気にしないようにはしています。ただ、細かいところでいうと屋内の会場に入るまでの外の環境の違いはありますね。湿度であったり、気温であったり。あとは、食事ですね。朝はお米を食べられないし、あってもパサパサしていたり。

――海外でも活躍できるように、山内選手が行っている対策を教えてください。

山内:日本にいる時も、朝食はパンに変えています。試合までに必ず朝食は摂るので、パン食に慣らしています。でも、やっぱり朝はお米が食べたいですけど(笑)。

射撃は筋力が全てではない?ストイックなトレーニング模様

――1日のトレーニングの流れを教えてください。

山内:射場に行って、弾を込めずに撃ち方を確認するところから始めます。構えて撃つ時間は3時間くらいですかね。

©山本晃子

トレーニングを始めた当初は、かなり腕まわりが疲れました。疲れた状態で練習を続けるのは意味がないので、インナーマッスルを鍛えるなど、できることをしていました。

自宅では、フィジカルトレーニングをしています。撃つ時の姿勢は、型を作るために重要なトレーニングの1つです。具体的には、軽い負荷で、ゴムチューブを使ったインナーマッスルを鍛えるトレーニングをしています。

――毎回の練習のなかで意識していることは、どんなものですか?

山内:射撃は、筋力が全てではないので、筋肉の使い方を覚えるようにしています。型が一番重要です。脳が命令したイメージ通りの動作ができるように日々訓練しています。本番は常に想定しながら練習しています。15分から20分くらいの時間を決めて、細切れに休憩するということを繰り返しています。

東京2020年パラリンピックへの思い

――観客の立場から見ても「もう2020年か」という感覚でいます。選手としては、どのようなお気持ちですか?

山内:引き締まる思いがします。メディアなどで東京パラの文字を見ると「来たな! 来たな!」と感じます。パラリンピックを目指す上では、5月の試合が大事になってきます。集中して練習を重ねれば、いい流れでいけると思いますね。

――東京2020年パラリンピックは、楽しみ?それともプレッシャー?

山内:「楽しみたい!」と言いたいんですが、そう思っている時点でプレッシャーを感じていますね(笑)。でも、「楽しい」という感情は1番大きなエネルギーを生んでくれると思います。

――最後に、パラ射撃の魅力や面白さを教えてください。

山内:射撃は、老若男女誰でもできるところが魅力だと思います。興味を持っていただけたら、シミュレーターで体験会等を通して射撃の楽しさを知ってもらえたら嬉しいですね。男性なら、ピストルに憧れがある方も多いと思うので、ぜひ体験していただきたいと思います。

[PROFILE]

山内裕貴 (やまうち・ゆうき)

1985年7月9日生まれ。大阪府生まれ山口県育ち。電通デジタル所属。17歳のとき、事故によって利き手だった右手の機能を失う。その後、猟をしていた祖父の影響で射撃を始める。現在は東京大会への出場及び活躍が大いに期待される。2019年度、2020年度の強化指定選手。これまで日本代表として2018年アジアパラ競技大会に出場している。

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