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東京五輪2020

アスリートインタビュー

「東京五輪を通して日本の選手団全員で日本を盛り上げたい」射撃大山重隆の語る決意

2020年3月30日 15:00配信

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©一般社団法人日本クレー射撃協会

空中に打ち上げられた皿を、散弾銃で撃ち抜く「クレー射撃」。トラップ、ダブルトラップ、スキートなど、クレー射撃の中でもさらに細分化された種目があります。

今回お話を伺ったのは、トラップの大山重隆さん。大学まで野球をプレーしていた大山さんは、お父さんの影響で射撃の世界に入りました。大山さんがいかにして射撃をはじめ、五輪代表選手に選ばれるまでになったのかをお聞きしました。

(取材・文:中村僚、写真:一般社団法人日本クレー射撃協会)

――大山さんがクレー射撃を始めたきっかけを教えてください。

大山:父が射撃をしていたので、幼少期から射撃場に行くことが多かったんです。中学生からは狩猟で山に入ることもありました。冬の狩猟は、散弾銃を安全に取り扱うための練習になります。山に入っているうちに、競技の射撃も練習するようになりました。大学4年生になったときに、散弾銃の免許と狩猟免許をとりました。

射撃以外にも、小学校からずっと野球をプレーしていました。高校は東北高校の野球部に入り、レギュラーではありませんでしたが、甲子園も経験しています。野球は東北福祉大学まで続けました。

――では大学では射撃と野球の両立をされていたのですか?

大山:いえ、大学の野球部では2年生で副キャプテン、3年生でキャプテンを務めていたので、散弾銃の免許は4年生の5月に取得しました。野球は7月まで続けていたので、その期間は野球の合間をぬって射撃の練習をしていました。引退後に時間ができて、本格的に射撃に傾倒していきましたね。

――野球をやっていたことで射撃に生かされる部分はありますか?

大山:競技そのものとは少し違いますが、高校時代の恩師である若生正廣監督が「礼儀、挨拶、掃除」を大切にしていて、それが今でも自分の根底にあります。クレー射撃は競技者に年配の方が多く、散弾銃を初めて握ったのが40歳、という方も多いです。用具を揃えたり、練習場を利用したりするのにお金がかかるので、若いうちから始められる競技ではないんです。年上の方に囲まれながら自分がここまで射撃を続けてこられたのは、高校時代に礼儀作法をしっかり身に着けていたことが一番だと思います。

――競技を始めた当初からオリンピックを目指していたのでしょうか?

大山:はじめは国体を目指していました。高校野球をやってきた僕にとって、国体はあまり馴染みがありませんでしたが、まずは現実的な目標を定めてみようと。競技レベルを上げて高みを目指す気持ちは最初からありましたね。

五輪を本格的に意識しだしたのは、2008年の北京五輪後です。そこから次のロンドン、さらにその次のリオを目指して、4年のスパンをやり遂げましたが、残念ながら代表には選ばれませんでした。クレー射撃は日本の参加枠があるわけではなくて、国際大会で成績を残して参加資格を勝ち取らなければいけないんです。日本では代表上位の選手に入ることができ、アジア大会では銀メダルを獲得したことがありましたが、世界ではまだ通用しなかった。世界で勝つためにイタリアに行って武者修行をしました。イタリアは銃社会で、散弾銃や弾を作るメーカーもたくさんありますからね。そこで技術を学びました。

©一般社団法人日本クレー射撃協会

――クレー射撃は、野球やサッカーなどと比較しても、とても静的なスポーツだと想像します。必要な技術、求められるものが他のスポーツとまったく違うのではないかと思いますが、いかがですか?

大山:競技特性として、集中力が必要であること、また的を外した時の気持ちの切り替え、競技に入っていく上で、メンタル的スイッチ、といったことが大事だと思います。射撃は経験がものをいう競技で、僕の場合は海外や国体での経験を得たので、いまこの位置にいられると思っています。

例えば大会に出られれば、海外の選手たちと同じ土俵にはいるので、形式的な勝負はできるんです。でもそこで勝ちに行くのか、勝負にこだわるメンタルを持てるかどうかは大違いです。僕はずっと「勝ちたい」という気持ちを強く持ち続けて、イタリアでも同じ気持ちで大会に出て、「勝つ」とはどういうことなのかを体感して日本に帰ってきました。

日本にはその経験を伝えられるプレイヤーがいません。世界の舞台で戦った人がいないんです。92年のバルセロナ五輪で銀メダルを獲得した渡辺和三さんという方がいたのですが、若くして亡くなってしまいました。伝える人がいないのなら、自分で行くしかないんです。僕がイタリアに行った理由は、トップレベルをこの目で見たいからでした。

――実際にイタリアに行って、どんな気づきを得ましたか?

大山:射撃のフォーム、散弾銃や弾、勝負に臨むメンタルまで、何から何まで変わりました。特に散弾銃と弾はより信頼できるものになって、不安がなくなりましたね。散弾銃は僕の身体の一部。それを本場のイタリアで作れたのはよかったです。

散弾銃はイタリアの「ベレッタ」という、ハンドガンでも有名なブランドにしています。メダル常連のイタリアチームが使っているブランドです。弾はイタリアでも日本でも購入できるものの中から選んでいます。国内外で試合があるので、同じ弾を使えるようにしておく必要があります。

器材への安心感、信頼は非常に重要です。「この散弾銃と弾で戦ってきた、成績を残してきた」とポジティブに考えることで、不安要素は消えていきます。自分のまわりにあるものからしっかりとした土台、基盤となるようなものを作っていけば、射撃に集中できると思います。不安要素を残さない、それに尽きますね。

――不安要素を取り除く方法として、試合前のルーティーンなどもあるのでは?

大山:朝起きる時間からのルーティーンもありますし、試合前の競技のルーティーンもあります。競技ルーティーンで言えば、右足からマスの後ろに入って、スタンスを決めて、自分の番が来るまで待つ。待っている間に腹式呼吸でメンタルを整えて、自分の番が来たら散弾銃を上げ、散弾銃を組んで、構えて、クレーが出てくるところの近くで自分のガンポジションに散弾銃を置いて、コールして、撃って、撃った弾のカラ薬きょうを出して、次の的に向けて散弾銃を担ぐ、と。これが一連の流れです。

2年前から、日本クレー射撃協会が外国人コーチを招聘してくれました。彼に「練習中もルーティーンをやりなさい」と指導されました。練習では、試合のようになかなか6人で撃つ状況はないのですが、自分なりのルーティーンは作っています。

――メンタルを保つことが大事な一方で、大事な場面で的を外してしまったり、予想外のことが起きたりして、気持ちが揺らいでしまうこともあると思います。そういった時はどう持ち直すのでしょうか?

大山:失敗は想定しないんですけど、外してしまったら悔やんでも仕方ないので、すぐに次に切り替えるしかないです。悔しがっているうちにクレーが出てきてしまいますから。反省は後ですればいいことで、そこを追求してもしょうがない。だったら同じルーティーンをこなして、頭で考えていることをスッと抜いて、次のクレーに集中することが大事です。

――野球をやっている時と射撃をやっている時のメンタルの変化はありますか?

大山:野球をやっていた時は、僕がキャプテンだったこともありますが、いろいろな人の行動に目配り、気配りをしなければいけませんでした。団体競技ですし、それが苦だったわけでもないのですが、射撃では自分だけに集中できるという違いはあります。自分が成功するために、自分がしっかりスタンバイしていくこと。他の人が外しても、自分が決めればいいんです。そのあたりの個人競技と団体競技の差というのは感じます。

――競技者目線として、クレー射撃の魅力はどんなところだと思いますか?

大山:僕はガンマニアではないんですけど、散弾銃でクレーを撃つことが楽しいんですよね。本物の散弾銃の本物の弾を使ってクレーを撃つ。それは公安委員会から許可を得た者だけができることで、誰でもできるわけではないんです。最近では散弾銃所持者が少しづつ増えていて、女性の方も多くなってきました。

――では見ている人にとってはどういうところが魅力だと思いますか?

大山:クレー射撃は飛んでいく皿を撃っていく競技で、予選ラウンドもファイナルラウンドも6人で撃ちます。クレーを外すとブザーが鳴るのですが、すぐ次の人が撃っていく時に、精神的なプレッシャーが見て取れるというか。前の人は外したけど、次の人は当てるかな、というような期待もあります。最初の人が外すと、次の人が外して、その次の人も外して、ミスが連鎖することもよくあります。かと思えば、失敗が続いていた中で1人が当てて勝ち抜けを決める、とか。

北京五輪の女子のトラップで、中山由起枝さんが3位タイでファイナルを終えたんです。得点が並んだまま終わると、「シュートオフ」というサドンデスに入ります。北京では4人同点者がいて、誰か1人が勝ち抜ければ銅メダルという状況でした。最初の1人がミス、2人目も外し、3人目が中山選手だったんですけど中山選手も外して、ミスが連鎖した状態で4人目までまわりました。4人目も外したかと思われましたが、よく見ると弾がクレーにわずかにかすっていて、クレーから粉が出たんです。ギリギリの攻防の末に、劇的な形で銅メダルが決まりました。

そういうメンタルの起伏が激しく、かつそれが見えるところが面白い競技だと思います。散弾銃を使って撃つというアグレッシブさがありながらも、気持ちの繊細な部分も手に取るようにわかるという、人間の奥のところまで感じられるのが、この競技の面白いところではないでしょうか。

――精密機械を使う競技ですが、実は人間くささを見られるスポーツなんですね。

大山:以前、協会の副会長の方に「お前は優しすぎる」って言われたんです。その優しさが競技にも出ていると。自分ではそんなことないと思っているんですけど、まわりの人にはそう見えているみたいなんです。射撃ではその優しさはなくさないといけません。

一方で、誰からも愛されるというか、自分が射撃の選手として活躍することで、まわりも応援してくれるようになればと思います。見てくれる人も含めて、みんなで喜怒哀楽を楽しみたいです。自分だけでここまでやってきたわけではないので、みんなで東京五輪を迎えたいです。

©一般社団法人日本クレー射撃協会

[PROFILE]

大山重隆(おおやま・しげたか)

1981年8月25日生まれ。埼玉県出身。東北福祉大学卒業。大山商事所属。2019年11月の第14回アジア大陸射撃選手権大会クレー射撃男子トラップで日本選手トップになり、協会の規定で東京五輪の代表に内定。38歳で初の五輪代表に。2013年に全日本選手権初優勝。2016年と2017年に連覇。国際大会でも実績を重ね、2012年アジアクレー射撃選手権大会で銀メダル。身長165cm。体重64kg。

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