dmenuスポーツ

東京五輪2020

アスリートインタビュー

日本陸上界の伝統競技で父の背中を追いかけ、超えていく。三段跳・山下航平の決意

2020年3月31日 19:44配信

記事提供:

©高木遊

ホップ・ステップ・ジャンプの要領で跳び、その距離を競う陸上競技の三段跳は、日本陸上界で伝統種目とも言える。1928年のアムステルダム五輪では織田幹雄が日本人初となる五輪での金メダリストとなった。さらに1932年は南部忠平、1936年には田島直人がそれぞれ世界記録で金メダルを獲得し一時代を築いた。

 そんな由緒ある競技で東京五輪を目指すのは、筑波大4年時に2016年のリオデジャネイロ五輪に出場した山下航平(ANA)だ。1986年に樹立され30年以上経った今でも日本記録(17m15)を持つ父・訓史さんの背中を追いかけ、超えていく強い決意を持っている。

(取材・文・写真=高木遊)

予想外の五輪初出場

――2回目の五輪を目指す中で、4年前とは違うことはありますか?

「4年前は、直前までまったく狙っていなかったんです。言ってしまえば、気付いたら出ることができたという状況で、準備不足は否めませんでした。けれども、今回は、しっかり“東京五輪で勝負する”ということを狙って準備を積んでいます。なので、その点が違いますね」

――三段跳の練習はどのくらい行うものなのですか。

「1日の練習時間は、内容によっても違うのですが、大体2時間から4時間くらいの時間で、週に1日か2日は休みの日があるというような流れですね」

――1日に何本くらい跳ぶなど、そういうことは決めていますか?

「決めていないですね。練習内容も、主に跳躍の練習と、走る系のスプリントの練習、あとはウエイトトレーニングなどの補強系の練習の3種類に分けられるのですが、それぞれバランスよく配置しています。跳躍練習も本数は決めていないので、その日のポイントとか課題をクリアできるかどうかですね」

――その中で息抜きはどのようなことをされていますか?

「試合が直近になく、練習がそれほど重いものでない時は、今日のように会社の方に出社させていただくということもありますし、自分の時間に使うこともありますね」

――小さい頃の夢はパイロットだったそうですね。

「そうですね。そういう夢も抱いておりました」

――「航空機と電車の話をしたら止まらない」という情報をネットで見たのですが、本当ですか?

「いわゆるマニアみたいなところはあるので、事実でございます(笑)」

――どういうきっかけで好きになったのでしょうか。

「私は出身が福島県なのですが、両親の実家が愛知県と三重県にありまして。なので、小さい頃から祖父母の家に行くときは飛行機を利用することが多かったんです。小学生の時とかは、1人で飛行機に乗せてもらったりしていたので、すごく親しみがあって、それがきっかけだったと思います」

――では、ANAさんに入れたことは?

「いやもう、本当に幸せなことで。好きな陸上をやりながら、ANAという会社の名前をユニフォームにつけて競技ができているというのは、本当にうれしいことですね」

©高木遊

父の存在

――もともと陸上を始められたのはお父さまの影響ですか。

「はい、父の影響です。三段跳を始めたのは高校1年生からです。小学生の頃はハードル競技をしていたのですが、当時は背が低かったのでハードルが高くなる中学生の頃に走り幅跳びに転向しました。その時から高校は三段跳をやるということを決めていたので、“そこに一番つながりそうな幅跳びをやろう”と取り組みました」

――日本記録を今も持つお父さまはどのような存在ですか?

「変わらず、追いかけ続けている大きな目標ですね。本当に父の背中を超したいという思いだけでここまできていますね」

――お父さまの存在があるがゆえのプレッシャーなどは、ありませんでしたか?

「いえ、父の存在が自分にとってマイナスに働くことはなかったですね。本当に目指す存在ではあるのですが、少なくとも高校の時に限っては、オリンピックなんてまったく現実味の無い話でした。日本記録なんてもってのほかだったので、少しずつ父に近づいていけたらいい、自分の道で頑張ろうという思いでした。そうやって割り切っていたので、まったくプレッシャーは無かったです。やっているうちに三段跳の面白さというのを感じて、のめりこんでいって、本当に楽しくやっていましたね」

――三段跳の面白さはどういったところですか?

「やっている身としては、ホップ、ステップ、ジャンプの3歩で遠くへ跳ぶ競技なのですが、すごい大きな衝撃が体にかかるんです。接地する時には体重の10倍くらいの負荷が一気にドンッと来るので、中には、体を色々痛めてしまう選手もいて、私自身もそれに苦しめられたこともあります。でも、三段跳で良い跳躍が決まる時は、逆に全く衝撃を感じないんです。なので、そのカチッとハマったときの体が勝手に遠くに跳んでいく感じというのは、ものすごく魅力で面白いですね」

「何もできなかった」五輪から4年

――2016年の五輪出場は狙っていたわけではなく「気付いたら出ることができたという状況」と仰っていましたが、逆にその無心が良かったというような部分もありますか?

「それは、かなり大きいと思いますね。とにかく良い跳躍をしようと思って跳んでいたら、いつの間にかドンと大きい記録が出てしまったというものでした見ている人もそうですけれど自分自身も、ものすごく驚きました」

――初めて出場した五輪の舞台はどのようなものでしたか?

「“何もできなかったな”という思いです。わざわざ地球の裏側まで行ったわけですけど、現実感のないままに、いつの間にか競技が終わってしまっていたという印象ですね」

――思わぬ五輪出場でやはり、心身ともに準備が整わなかった形でしょうか?

「今の自分じゃ勝負にならないなというのは薄々感じていました。その中でも何とか自分のできる精一杯の力を出し切ろうと思っていましたが、簡単にそこで自己ベストを出そうと思っても、準備もままならないままに出場していたので上手くいくはずがなく、散々な結果(自己ベストにほど遠い15m71で予選敗退)で帰ってきてしまって。やはり厳しいところだなということは感じましたね」

――悔し涙が出るくらいですか?

「いや、もうそんなものも(ない)。結局こんなもんだろうというか・・・はい。“実力のない人間がこんなところに来ても何にもできないんだな”と。分かっていたことではありました」

――五輪となると周りの盛り上がり方もやはりまったく違うものでしたか?

「はい。(前回大会は)出場することが決まった時に本当にいろんな方からご声援をいただきました」

――そういった経験をして、リオデジャネイロ五輪までの大学4年間と、そこから東京五輪の4年間は大きな違いがありましたか。

「リオ五輪に出場してから自分の周りの状況が一変しました。“学生レベルではやっていられない”、“日本トップを目指して、ゆくゆくは世界で戦えるような選手になりたい”という思いを抱き始めたのもリオに行ったことがきっかけです。競技に対する気持ちがそれまでとは大きく変わりました」

――4年間を振り返ってみて順調に来ることができたでしょうか?

「浮き沈みはありましたね。この4年、2016年以降は本当に色んなことがありました。大学を卒業して、会社に就職してという大きな転機があって、その中で自分の競技者としてのレベルも上がり下がりがあって。決して順調にここまできているわけではなく、4年間というものを最大限有効に使って、ここまで来ているとは正直自信を持って言い切れない部分はあります。それでも、目標が東京五輪で結果を出すということに変わりはないので、今やれることを十分にやっていくしかないという気持ちです」

――その中で得たものはありますか?

「三段跳で世界と戦う上で、技術的にどんな跳躍が必要なのか、どんな能力が必要なのか、というのもハッキリしてきましたし、そのためのトレーニングをどういう風に積んでいくかも、まだ完全ではないですけれども、かなり明確になっています。なので、その点はかなり競技者として成長している部分ではあると思います」

――東京五輪での目標を教えてください。

「まずは出場権を得ることです。まずは参加標準記録である17m14、この記録を6月末の選考会である陸上の日本選手権までにマークして、しっかり出場権を得ることです。その先の本大会では17m40という記録を見据えています」

――お父さまの日本記録(17m15)を超える記録を東京五輪では目標にされているんですね。

「25歳という年齢で東京での五輪を迎えられるということは、ものすごい巡り合わせというか、これはもう運命的なものを感じ、このチャンスをモノにしたいと思っています。また、周りの方々も私にすごく温かいご声援をくださったり、期待をしてくださっているので、その思いに応えたいという思いです」

――東京五輪に出られたらどのようなことを発信していきたいですか?

「とにかく結果を出すことですね。三段跳という種目で近年、日本人選手は少し世界と間を開けられてしまっている、遅れを取っているよう状況ですので、まずは“日本人選手でも三段跳で世界と戦える”というところを見せたいです」

――これを機に三段跳をする子も増えるとより良いですね。

「決してメジャーな種目ではないですが、三段跳という種目は戦前のオリンピックでは、日本人が初めて金メダルを獲得し、その後も3大会連続で異なる選手が金メダルを獲得し続けた伝統のある種目です。なので、そのことも知ってもらい、三段跳というものがより広がると良いなという思いも持っております」

[PROFILE]

山下 航平(やました・こうへい)

1994年9月6日生まれ、福島県福島市出身。橘高校3年時に国体少年の部を制して全国初優勝。筑波大4年時に自己ベストとなる16m85を記録しリオデジャネイロ五輪の代表に選出。現在はANAに所属し、2回目となる五輪出場を目指している。179cm69kg。

インタビュー一覧に戻る

トピックス

競技一覧
トップへ戻る