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東京五輪2020

アスリートインタビュー

丹羽孝希「4年後のパリ五輪も目指す」天才サウスポーが描く未来

2020年5月29日 12:59配信

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©伊藤圭

(取材・文=山下大志/ラリーズ編集部、写真=伊藤圭)

丹羽孝希は並々ならぬ覚悟を持って東京五輪に臨む。リオで団体銀メダルを獲得し、その後の卓球ブームを牽引してきた丹羽だからこその決意の表れだ。「本当にこの一年苦しいことばかりで、一時は代表を諦めかけていた」という過酷な選考レースを乗り越えた丹羽が今思うこととは。

ロンドン、リオに続く3度目の五輪代表に内定

東京五輪の卓球日本代表枠はたったの3枠。2020年1月発表の世界ランキング上位2人にシングルス代表権が与えられ、団体戦に出場する3人目は強化本部の推薦によって選ばれる。

「3番目になると選ばれる自信がなかった。2番目までは無条件で出られるのでそこを目指すしかなかった」

丹羽はこの1年間、世界ランキングで日本人上位2人に入るべく世界中を転戦した。

水谷か丹羽か。五輪代表レースの行方は丹羽に出場権のない12月のグランドファイナルでの水谷の結果に委ねられた。丹羽は自宅でライブ配信を眺めた。水谷が1回戦で敗れた瞬間、丹羽の世界ランキング日本人2番目、つまり東京五輪代表選出が決定した。

五輪代表としての決意

「色んな事が頭の中を駆け巡りましたね。本当にこの一年苦しいことばかりで、一時は代表を諦めかけていた部分もあった。そういうことからやっと解放されたというのもあります」

しかし余韻に浸る間もなく、丹羽は日の丸を、そして卓球界を背負う覚悟を決め、次を見据えている。

「五輪代表は責任感がある。また違う緊張感があります。結果で次の4年の卓球の価値が変わってしまう」

©伊藤圭

孤独な戦いからチームでの戦いへ

2020年1月6日に正式に五輪代表候補選手に選出された後、初めてのワールドツアーとなったのが1月28日からのドイツオープンだった。丹羽は2回戦で中国の林高遠(リンガオユエン)にマッチポイントを握るもフルゲームの末敗れた。

「5回マッチポイントで全部自分サーブだったんですけど、あと一本を取る自信がなかったですね。相手の状態も良くなかったので、勝っておきたかったです」と反省を述べながらも「でもやっとチームや他の日本選手も応援できるようになったので、ドイツオープンからは試合が楽しみです」と表情を緩ませて打ち明けた。

五輪代表入りをかけた世界ランキング争いが中心となった2019年は「他の選手の応援ができなかった。みんなライバル。代表争いは自分一人だけで戦っている感じ」と孤独との戦いだった。

しかし、現在の日本男子チームの目標は、チームランキングで2位のドイツを抜かし、東京五輪団体戦で決勝まで中国と対戦しない第2シードを獲得することだ。自然とチームを意識した戦いになっていく。

「チームランキングを上げるために試合が続くので、一つ一つの大会でベストを尽くすことしか自分も考えてない。ドイツを抜かすことだけを考えてやっています。今回水谷さんが林昀儒(リンインジュ)に勝ったりそういうのも応援できました。チームランクのためにお互い頑張ろうとなるので、そういう意味では楽しくなってきました」

「チームランキングを上げるため」、「僕がもっともっと強くなって団体戦で必ず点を取れる選手になれば、日本がメダルとる確率も高くなる」。丹羽からは五輪団体戦への意気込みばかりが口をついて出る。昨年末のトップ12後も報道陣に東京五輪の目標を聞かれた際「団体戦でのメダル獲得」と言い切った。

「4年後のパリ五輪も目指す」

17歳でロンドン五輪に出場し、団体ベスト8とメダルを逃す悔しさを味わった。21歳で臨んだリオ五輪では、卓球日本男子初の団体銀メダル獲得に貢献した。水谷と共に日本男子卓球界の歴史を作ってきたサウスポーが自国開催の東京五輪を25歳で迎える。

熾烈を極めた代表争いを終え、技術、体力、知力、経験、そして運を兼ね備えた丹羽はどのような姿を東京で見せてくれるのだろうか。

昨年10月のどん底時には「最悪このまま引退することになるかもしれない。卓球を辞めるかもしれないと思っていた」とこぼしていた男が、いまや「4年後のパリ五輪も目指す」と力強く語るまでになった。丹羽は2020年、そして「その先」も戦い続ける。

取材中、一番幸せだと思う瞬間は?と尋ねると「まだそんな味わったことないです……これから味わいたい」。そう小さく呟いた丹羽の瞳は力強く未来を見つめていた。

[PROFILE]

丹羽孝希(にわ・こうき)

1994年10月10日 生まれ。北海道苫小牧市出身。スヴェンソン所属。左シェーク裏裏ドライブ型。2016年リオ五輪銀メダリスト(男子団体)。最高世界ランキング5位。2011年〜2019年世界選手権日本代表。

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