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東京五輪2020

アスリートインタビュー

テコンドー・鈴木セルヒオ、2ヶ国の期待を背負い「あともう1年」

2020年6月15日 12:00配信

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足技主体の格闘技。飛び蹴りや後ろ回し蹴りの派手な飛び技が多いテコンドー。

6歳の時テコンドーに出会いその魅力に引き込まれ、意欲的に練習に励んできたのが鈴木セルヒオ選手だ。幼少期に住んでいた南米ボリビアの地ではほとんど負け知らずで、同世代では頭ひとつ抜けた存在に。

テコンドーは前蹴り、横蹴り、回し蹴り、後ろ回し蹴りなど競技の中心となっている蹴り技は圧巻である。選手は防具を身につけながら力いっぱいにぶつかりあうため、見るものを夢中にさせる。相手のプロテクターを攻撃した方に加点されるため、パワーとスピードが求められる。

軽量級では、プロやアマチュア関係なく技術のある選手が次々に輩出されるため不断の努力が要求される。

日本とボリビアを背負い、五輪でメダル獲得を目指す彼の思いと、東京五輪延期に対する今の心境について語ってもらった。

(取材=竹中玲央奈、文=荻本祥、写真提供=東京書籍)

©東京書籍

負け知らずの幼少時代

――テコンドーを始めようと思ったきっかけを教えてください。

5歳でボリビアにいた時、両親に勧められて総合格闘技を習える場所に連れて行かれて、テコンドーと巡り会いました。レベルは決して高いわけではないのですが、日本よりもボリビアの方がテコンドーの知名度が高いんです。

――他の格闘技に挑戦しようとは思わなかったんですか?

サッカーや、スイミングスクールなど違う習い事をしている時期もありましたが、テコンドーは一度もやめませんでしたね。3歳年上の兄も同じ場所で空手を習っていましたが、私はテコンドー以外の格闘技をする気も、機会もありませんでした。

――テコンドーに没頭できた要因についてお聞かせください。

競技を始めたのが6歳の時だったのですが、練習に行くとたくさんの友達と優しい先生もいて、純粋に楽しかったので続けていました。それに競技に対して自信を持っていました。性格が負けず嫌いだった私にとって「勝てる楽しさ」を感じられたことが、テコンドーにのめり込んでいった大きな理由です。

「ボリビアから外の世界に出て、自分を試したい」韓国留学を決意

――高校は本場の韓国に留学して技を磨いてこられたんですよね。韓国行きを決意した要因を教えてください。

父から「本場の韓国に留学してみないか」と言われたことがきっかけです。そして、韓国に留学している日本人テコンドー選手をネットで調べた上で連絡を取ってくれたんですよ。父とその韓国留学中の日本人テコンドー選手の手助けもあり、留学できることになりました。

――15,6歳で異国の地に行くというのは簡単ではないことかと。海外に行くことに対して不安はありましたか?

スキルアップのため、韓国に行きたくてどうしようもないくらいだったので、不安は全くありませんでした。ボリビアから外の世界に出て、自分のテコンドーがどこまで通用するのかを早く試したいとも思っていましたから。韓国テコンドー界の圧倒的強さを目の当たりにする前までは、自信満々でした。特に下見をせず、勢いのまま韓国に向かいました。

過酷すぎる韓国留学体験記

――文化の違いによって韓国滞在は過酷だったと伺っています。当時の辛かった経験を教えてください。

まず、上下関係がとても激しかった。ボリビアではフラットな関係を持つのが普通だったので、始めはショックを受けました。ソウルにあるテコンドーの名門・漢城(ハンソン)高校に通っていたのですが、強豪校だったこともあり、体育会特有の上下関係がありました。

――どのような生活だったのでしょうか?

1年生の時はホームステイのような形で、下宿先にいました。しかし、下宿先がなくなったので1年の後半から卒業までは寮で生活をしていました。寮には5人テコンドー部員がいて、日本から留学にきた先輩2人と、遠方からきている韓国人と過ごしていました。遠方から来ている韓国人寮生には、地方からの特待生もいました。

――慣れてきた下宿先からまた新しい環境に移った、と。

はい。寮生活に変わったことで更に辛い経験をしました。最初の下宿先はホームステイのような形で、洗濯や食事の準備はおかみさんがやってくれていました。いつもアットホームで温かい雰囲気がありましたね。それが寮生活になったことで状況が一転。先輩の洗濯物は当時1年だった私がやらないといけないですし、雑用も次第に増えていきました。寮に洗濯機がなかった頃は、先輩たちの洋服を学校に持って行って洗濯していました。下級生ならではの雑務に追われ、軽く背中を痛めたこともあります(笑)

――部での練習はどうでしたか?

初日から練習が厳しすぎてまったくついていけませんでした。部員は約50人いるのですが誰にも勝てず、プライドが折れました。2人1組で練習をするのですが、韓国語を話せないこと、外国から来たこと、自分が下手すぎたこと等が理由で、誰も私と組んでくれませんでした。最初の数ヶ月間の練習は気まずさを感じながら1人でやることが多かったです。

――やはり練習量も多かったのですか?

朝昼晩とみっちり練習スケジュールが組まれていました。私は言葉も話せない上に、テコンドーの実力も底辺だったので、周りの誰からも認めてもらえない状態が続いていました。本当に死にたくなるくらいの辛い体験でした。気持ちが追い詰められていましたね。

――でも、過酷な練習に参加しているうちにスキルも上達したんですよね。

厳しい環境にいたからこそ、技術、メンタル、体力等、全体を通して鍛えられました。

――韓国留学期間での実績はどうだったのでしょうか?

韓国での実績がほぼ無いです。卒業後の進路に悩んだ際に「このままじゃまだ帰れない」という気持ちになり、少しレベルが低い全国大会でベスト16になったくらいです。ソウル市内の大会ではベスト8でした。韓国に留学していたにも関わらず当時全日本ジュニアに出場しても高1で3位、高3で2位と、優勝はできませんでした。

大東文化大学・金井洋監督との出会い

――大学に入り金井洋監督と出会って変わったことを教えてください。

大東文化大学テコンドー部の金井洋監督の元で練習をするようになってから自主性が養われました。韓国での過酷な環境から一旦身を引いたら、心に余裕ができたのと、自分で「どうしたらもっと強くなれるのか」を考えるようになりました。

――鈴木選手は日本代表として五輪出場を目指してきたかと思いますが、国籍はいつ決めたのですか?

ボリビア国籍もあったのですが、22歳の時に日本国籍を選択しました。振り返ると、韓国での過酷な留学体験によってテコンドーに対する情熱は腐りかけていました。しかし大学入学後、友達や監督との出会いがあったおかげでテコンドーへの情熱を思い出せたんです。今、日本のテコンドー界に貢献したいという気持ちを強く持っています。

トラウマを克服したある大会

――五輪で優勝するためには、韓国を始め世界の強豪選手を乗り越えていかなければならないと思います。

今はもう、当時に持っていた韓国人選手に対する恐怖心や劣等感を払拭できました。こうした苦手意識を克服できたきっかけは、ある大会で優勝できたことです。種々多様な国の選手たちがランキングを上げるために参加するオープン大会が各国で行なわれるのですが中でも韓国人強豪選手が多数出場する、韓国国際オープンテコンドー大会はレベルが高いことで有名です。2016年にコリアオープン大会で優勝できたことが自信に繋がり、以降強豪選手に対して引け目を感じなくなりました。

――大会に出場しようと思った時は自信はありましたか?

それほど自信はありませんでした。まさか自分が優勝できると思っていなくて。それでも今まで努力してきた甲斐あってか、決勝、準決勝の試合では韓国の強豪大学の選手や実業団に所属している選手に勝つことができました。

――テコンドーに対する姿勢も変わりましたか?

金井監督の指導を受ける中で、「自分らしくやれば勝てる」と思えるようになりました。自分で物事考えて競技に取り組む、自立心が芽生えましたね。

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東京五輪延期は「正直悔しい」

――東京大会の1年延期を知った時、どのような思いでしたか?

延期を知った時はかなり困惑しました。ちょうど日本代表の内定が決まった時だったので、必死の思いでここまで来たのにまた選考会があったらどうしようと、思いました。正直なところ、かなり不安に駆られました。東京大会に合わせてコンディションを整えてきたので悔しいです。内定した勢いのまま東京大会に出場したい思いもあったので、すぐには気持ちを切り替えることができませんでした。

――現在の心境についてお聞かせください。

時間が経ち今はすごく前向きに捉えられるようになってきました。1年延長を利用して自身のレベルアップに繋げられるように頑張りたいと思っています。バケモノ揃いの海外選手に太刀打ちできるよう、自分の足りないところを補填する年にしたいと思います。

――五輪の競技種目の中だとテコンドーは比較的新しいですよね。メダルを取りに行くにあたっての意気込みをお聞かせください。

前回のリオでは悔しい結果になってしまったので、東京五輪はラストチャンスだと思って挑みたいと思っています。

――ぜひ東京大会で金メダルをとってテコンドー界を盛り上げていきたいですね。

そうですね。まだ日本では男子のメダリストがいません。またボリビアも日本と同様テコンドーメダル取得者がいないので、ここで私が金メダルをとって、テコンドーの魅力を生まれ育った2ヶ国に届けたいなと思っております。

©東京書籍

[PROFILE]

鈴木セルヒオ(すずき・せるひお)

1994年10月9日生まれ。神奈川県川崎市出身。日本人の父とボリビア人の母の間に生まれ、5歳の時に家族とともにボリビアに移住。高校は韓国の漢城高等学校、大学は日本の大東文化大学。現在は東京書籍所属。階級は58kg級。2018年アジア競技大会で3位に輝き、2019年全日本テコンドー選手権大会優勝。更に東京2020オリンピック日本代表選手・最終選考会で優勝し、東京五輪代表に内定。

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