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アスリートインタビュー

「パラカヌーは私と社会をつなげてくれたもの」瀬立モニカが語るパラスポーツの意義

2020年12月14日 12:03配信

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パラカヌー日本代表の瀬立モニカ選手。経験2年足らずでリオパラリンピックに出場し、8位入賞の実績がある。瀬立選手の地元である江東区で開催される、東京パラリンピックパラカヌー競技でもメダルが期待される。そんな彼女にパラカヌーを始めたきっかけや、パラリンピアンとして叶えたい夢、そしてパラリンピックに向けての意気込みなどを語っていただいた。

(取材・文=VICTORY編集部、写真=Getty Images)

©Getty Images

「男子を入れても一番だった」運動神経バツグンの幼少期

――パラ競技を始める以前から運動は積極的に取り組まれていたのですか?

そうですね。習い事をたくさんさせてもらえる環境にいて、最初に始めたのは水泳で、テニス、陸上、サッカーとかスポーツだけではなくてピアノとかもやっていました。幼少期は体を動かすのが好きでしたね。休み時間は男の子と一緒にボールを投げ合ったりもしていたので、休み時間に絵を書いたり、本を読んだりっていうのはあまりなかったですね。

――周りの子に比べて運動神経は良かった方でしたか?

人よりはできていたのかなとは思います(笑)。マラソン大会とか、リレーとかでは男の子を含めても学校で一番でしたね。

――中学校ではバスケ部に入られたそうですね。

元々水泳をやっていて、水泳部に入りたいなと思っていたんですけど、中学に水泳部がなくて。バスケ部は、仲の良い友達もみんな入っていたので、ノリと勢いで入ったって感じです。

――更に並行して、カヌー部に入られたそうですね。

体育の先生から誘われたのがきっかけです。私の生まれ育った江東区は川がたくさんある地域なんですけど、その河川を活かして何かできないかということで、カヌー部が区の部活として設立されて、元々水泳をやっていて、水に触れてきたということもあって誘われました。

――区の部活ってなかなか聞かないですよね。どのくらい練習があったんですか?

週に2回から3回くらいですね。バスケ部と兼部しながらやっていました。区の部活動なので、区が競技環境を整えてくれていたっていうところはすごく恵まれていたと思います。

――カヌーを始めた時の印象はいかがでしたか?

最初に「カヌーをやってみない」って言われた時に、カヌーが全くわからなかったんですよね。何人で乗るのかとか、どんな船なのかとかをGoogleで調べてから体験に行きました(笑)。まず競技用のカヌーに乗らせてもらったんですけど、全く乗れなくて、乗るところから練習を始めましたね。競技用のカヌーはレジャー用のカヌーに比べてすごく細くて、安定感がないからこそ、直進性があってスピードも出るんです。そこの難しさに魅力を感じました。

「自分ごととして受け止められなかった」怪我をしてしまった時の心境

――その後、高校に進学された後、怪我をされてしまったとのことですが、当時の様子を教えて頂けますか。

高校1年生の6月、体育の授業中に倒立をしていて、そこでバランスを崩してしまって、胸から下に麻痺が残ってしまったっていう感じです。

――当時の心境はいかがでしたか?

大きな出来事過ぎて、どうしても自分ごととして受け止められなかったです。そのためか、怪我をしたことに対するショックではなくて、これからどうやって通学するかとか、段差をどうやって解消するのかっていうような、現実的な問題に目が行きましたね。毎日生活するのに精一杯でした。その期間が一年くらい続きました。だいたい怪我をしてから半年後くらいに高校に戻って、学校生活や慣れないことに挑戦しながら、高校2年生の6月くらいにようやく旅行に行ったりとかっていうことができるようになりました。

――そこから精神的に克服できたきっかけなどはありましたか?

高校に戻った時には通学とかでもバリアを感じていましたし、なんで他の人ができていることを自分ができないのかっていう風に考えてしまって。それこそ体育の授業とかは自分が人より秀でていたのに、評価が見学中のレポートでしかされないっていう状況で、少しふてくされていましたね。そういうこともあって、スポーツには目を向けないような生活を送っていて、その代わり勉強を頑張ろうと思っていた時期が半年くらいありました。スポーツをやろうっていう気持ちにはなかなかなれない中で、ちょうど一年くらい経った時に、中学校の時にお世話になっていたカヌー協会の方から連絡が来て。パラカヌーが東京パラリンピックで開催されるかもしれないということで、「地元からパラリンピアンを発掘しよう」っていう企画に誘われました。カヌーって本当に難しくて、自分のこういう体でできるとは全く思っていなかったんですけど、しつこく誘われたので、とりあえずカヌー場に行ったんですね。そこで、船からわざと落ちて、断ろうと思っていたんですけど、用意された船がものすごく太い船で(笑)。自分から水に飛び込まないと落ちないようなものだったので、

「乗るしかない」と思って乗ったのが、スポーツに触れるようになったきっかけでした。実際にカヌーに乗ったら、意外と乗れてしまったので、そこからどうせやるならパラリンピックを目指そうと思うようになりました。

――競技を始めてから、精神面で変化はありましたか?

パラカヌーは私と社会をつなげてくれたもので、カヌーの練習があるから学校に行かないといけないし、公共交通機関を使って練習に行かなきゃいけないし、コミュニケーションも取らないといけないので、そういうことをしていくうちに、徐々に外に出られるようなメンタルを養っていけたのかなと思います。

©VICTORY

「何回か死にかけた」パラカヌーの過酷さ

――カヌーとパラカヌーの一番の違いはどのあたりだと感じられましたか?

カヌーって手で漕ぐスポーツだと思われがちなんですけど、実際のところは足で踏ん張っていて。足で蹴りながら体を使って引くっていうのが普通のカヌーの隠れた特徴なんですよね。ただ、足蹴りがないパラカヌーでは、船が安定しないなかで、100%の力でやらなければいけなくて。そこは苦労した所ですね。

――ちなみに転覆された時はどのようにして対処されるんですか?

基本的にカヌースプリントっていう競技は、転覆してから起き上がることは不可能なので、船から抜け出すんですよね。船が反転した状態だと、水がどんどん入ってきて沈没したりするので、まず自分の命より先に船を返して、救助を待つっていう形ですね。何回か死にかけたこともあります(笑)。

――すごく過酷ですね・・・パラカヌーを始められた際、何か他に困ったことなどはありましたか?

カヌーの姿勢を保つのがしんどかったですね。カヌーの上では体育座りのような、足を屈曲させた状態で、骨盤を起こして体を少し前傾にするような姿勢で漕ぐんですけど、そのポジションを取るのが難しいんです。姿勢を維持するためにどんなシートを作るかっていう部分から調整していくのも難しいですね。そういう部分はメカニックとのコミュニケーションや、コーチから見た視点も取り入れて、シートとかを決めて行くことになります。

――他のパラアスリートから受ける刺激などはありますか?

2016年のリオのパラリンピックに出場したのをきっかけに、他競技の選手とつながる機会を得られて、その時に練習方法だったり、休みのタイミングの話を共有しあって、自分自身大きな成長につながったのかなと思います。それから、やっぱりパラリンピックに出る人と、メダルを取る人とでは感覚が全然違って。メダルを取る人たちは極めてきているので、自分がやることに意味を見つけて、常に時間を無駄にしていないし、全て競技につながるように生活を整えているのが印象的でした。

――お話に出てきましたが、リオパラリンピックに出場された時の感想を教えてください。

今振り返ってみれば、アスリートとして人間的にも、肉体的にもまだまだ甘かったなっていうふうに思います。リオに参加してみて、決勝では極端なビリだったんですけど、自分が4年後、生まれ育った江東区でこういう恥ずかしい思いをしたくないと思うようになって、メダルを絶対取るんだっていう覚悟を持たせてくれた大会が、リオパラリンピックだったと思います。

「多様性が認められるように」活躍を誓う東京パラリンピック

――パラカヌーという競技を、競技者視点で捉えた際の魅力を教えて下さい。

普通の人たちが体験し得ない、水中でもなく、陸上でもない水上っていう特殊な環境の中で、水面をはって進んでいく爽快感があって、浮いている感覚ですね。乗っていてめちゃくちゃ楽しいですね。パラを始める時、船に乗る前までは全然やる気もなかったんですけど、乗ってみたらすぐ楽しいと感じるようになりました。最終的には自分がやりたいからパラカヌーを始めました。

――見る側としてはどのようなところに注目すれば良いでしょうか?

カヌーは水上のF1って言われていて、スピード感が魅力的なんですね。なので、そのスピード感を生で見たら絶対感動します。あとは、パドルを回す音とかも、会場では近くで聴くこともできるので、そこは面白い所だと思います。

――瀬立選手ご自身の強みを教えて下さい。

私はスタートから100メートルが得意で、他のどの選手たちよりも先に自分が前に出たいっていう思いが強いです。パワーをつけてしっかり前に出られるように練習しているので、そこが自分の強みかなと思います。

――瀬立選手は発信も積極的にされているなと思うのですが、発信しようっていう風に考えた理由はなにかありますか?

パラ競技は競技人口が非常に少ないので、めったに注目される機会はないんですよ。だからこそ、東京パラリンピックっていう、皆さんに知ってもらえるチャンスを無駄にしたくはないですね。もちろん競技に集中したい時期であれば、メディアの取材をお断りさせてもらうこともあるんですけど、自分がオフのシーズンであれば、メディアの取材はできる限り受けたいと思っていますし、それが義務だと思っています。

――瀬立選手が今抱いている夢や目標を最後に教えて下さい。

私の生まれ育った江東区で競技が開催されて、自分がカヌーを始めたのも東京パラリンピックの開催が決まってからだったので、一番目標としている大会でメダルをとりたいなと思っています。あと、私たちパラリンピアンが、パラリンピックが近づくにつれて、一般の人たちに少しずつ認知されている部分はあると思うのですが、私たちみたいな人は本当に氷山の一角で。外に出られないような障がいを持った人たちはたくさんいると思います。パラリンピックをきっかけに、そういった人たちもいるんだよっていうことや、多様性とかが認められるようになったらいいですし、そのためには自分が活躍することが必須なのかなと思います。

[PROFILE]

瀬立モニカ(せりゅう・もにか)

1997年11月17日生まれ。中学生の頃にバスケットボールと並行しながら、カヌーを始める。しかし高校1年生のとき、東京国体予選の直前に体育の授業中に怪我をしてしまい車椅子生活に。その後、一年間のリハビリを経て2014年にパラカヌーで競技復帰。2年足らずで日本人選手第一号でリオデジャネイロパラリンピックに出場し、8位入賞。現在は筑波大学体育専門学群に所属。地元江東区での開催になる、東京パラリンピックパラカヌー競技ではメダルが期待される。

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