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アスリートインタビュー

「五輪でメダルをとっても評価されない」ロンドン金の松本薫が語る当時の思い出と代表への期待

2021年3月1日 10:27配信

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2012年のロンドン五輪で日本人第一号となる金メダルを獲得し、一躍時の人となった松本薫さん。出産後も現役生活を続け、東京五輪を目前に引退発表をした彼女に、ロンドン五輪当時の思い出や「五輪でメダルをとっても評価されない、金メダルだけが期待されている」と語られるほどとてつもない重圧のかかった環境での柔道選手の心境などを語っていただいた。

(取材・文=VICTORY編集部、写真=本人提供)

©本人提供

素行の悪さが原因で地元に出戻り。そこで火がついた五輪への思い

――松本さんが柔道を始められたきっかけを教えて下さい。

私は五人兄弟の四番目でして、上のお兄ちゃんがすごく優しかったんです。母がこのままだといじめられるんじゃないかっていうふうに思って、柔道を兄が始めてから、その流れで始めたっていう感じです。元々柔道選手にはなろうと思っていなかったタイプで、はっきりとオリンピックに出たいっていう目標を持ったのは大学生の頃ですね。もうちょっとフワッとした目標に(五輪が)なったのは中学生くらいです。習い事の一つとして柔道をしていたので、それが生活の一部になっていたんですけど、毎日お母さんに柔道を辞めたいとは言っていました。ただ辞めるなら自分で先生に挨拶しに行きなさいっていうふうにお母さんに言われて。すごく厳しい道場だったので、辞めたいと思っていても怖くて言えなかったです(笑)。

――その後高校に進学されるタイミングで、地元の金沢から上京されたそうですね。

高校生になってから一回東京に来たんですけど、周りの子たちはオリンピックを目指して練習している人たちばかりで。ただ、正直当時の自分はなんとなく東京に来たような感じだったので、周りとのギャップがすごく大きくて。練習の取り組み方も全然違いますし、「どうしてこの人たちこんなに頑張っているんだろう」っていうふうに思ってしまうほどだったので、わざと図書委員会とかに入ってなるべく練習に遅れていくようにしていましたね(笑)。そういうのがばれてしまって、地元に帰って一から作り直そうっていうふうになりました。

――ある種の「ドロップアウト」のような状態だったのかなと思うのですが、そういった状況から五輪を意識して取り組まれるようになったきっかけを教えて下さい。

高校2年生のときにインターハイで優勝していたんですけど、私の素行が悪くて、当時お世話になっていた会社様に勘当されてしまったような形になったんです。当時の私は多少素行が悪くとも、結果を残してさえいればなんとかなるだろうっていう甘い考えでいて。勘当されてしまったことが非常に悔しかったんですよね。そこから金沢に戻った時に、このまま柔道を辞めようかな、とも思ったんですけど、それじゃあちょっと面白くないなと。もしオリンピックで私が優勝したら、その企業を見返すことができるんじゃないかなと考えて、オリンピックを目指そうかなと思うようになりました。それに、5歳から柔道を始めた柔道を、辞めてしまったらすべてが0になってしまうような気がして。それだったら今まで遊んでくればよかったなんて考えもあり(笑)。あとは、中学生の時になんとなくですけど、お母さんを世界に連れて行きたいと思っていた気持ちもあったので、オリンピックを目指すようになりました。

「オリンピックでメダルをとっても評価されない」桁違いの五輪での重圧

――その後、ロンドン五輪で金メダルを獲得されたわけですが、一番印象に残っていることを教えて下さい。

私が勝ったということよりも、勝率100%といっても過言ではなかった48キロ級、52キロ級の日本選手団が次々と負けていったことですね。

――当時を振り返って、そのような状況に陥ってしまったのはどういう原因があったと考えられていますか?

私の認識では、日本人選手はまだまだメンタル教育がされていないと思っていまして。私自身の目標はオリンピックでの優勝というよりかは、その先には見返してやりたいとか、両親の笑顔が見たいとか、違うところに目標があるんですよね。でも日本人の目標は大体オリンピックで止まってしまっていて。出場した時点でゴールに着いちゃっているんですよね。なんであんなにみんなが負けていったのかを今考えると、やっぱりメンタル教育がなされていなかったからだろうなって思います。

――そんな中で松本さんは金メダルを獲得されたわけですが、オリンピック独自の緊張感というものはありましたか?

オリンピックはめちゃめちゃ緊張しますよ(笑)。他の大会とは全然違います。柔道競技は特にそうなんですけど、世界選手権でどんなに勝っても評価されないし。オリンピックでメダルをとっても評価されないんですよ。柔道選手がみんな目指しているのは、オリンピックで金メダルをとることなんです。みんながメダルを取りすぎるせいで、金メダルをとって初めて評価されるんです。世間の人たちも柔道はとにかく金メダルっていうイメージが強いので、選手も自分で自分にプレッシャーをかけてしまって、どうしても金メダルじゃなきゃダメだっていう気持ちにはなります。あとは、メディアに対して慣れている人が少ないので、カメラが入るだけで緊張する人もいますし、周りから見られているって考えるだけでプレッシャーにもなりますよね。

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「勝てたのにつまらない」東京五輪を目前に引退した理由

――その後リオで銅メダルを獲得されて、2018年まで競技を続けられたわけですが、東京五輪を目指してリオ五輪の後も競技生活を続けていたのですか?

そうですね。東京オリンピックは魅力的だなとも思っていて、あとは子供が生まれたら柔道をやろうとも思っていました。日本では出産後も柔道を続ける選手が少ないので、何が足りないのかを知りたいとも思いました。男子選手は当たり前に結婚して、嫁さんが子供を産んでも当たり前に柔道を続けるわけですけど、女性選手は暗黙の了解で彼氏がいるのもタブーみたいなことも当時はあって。それはおかしいんじゃないかなと。

――東京五輪に対して前向きな気持ちもありつつ、引退を決意された理由を教えて下さい。

要因は二つあって。一つは子供ができて、そっちのほうが大切に思うようになったので、時間の費やし方が変わってしまったということですね。あとは、最初の復帰戦に向けて、子供ができたことによって全然練習できていなかったんです。その中でもなんとなく勝てちゃって。それもまた面白くないというか、「勝てたのにつまんないな」と言いますか。もうこの時点で闘争心はないなと感じ、引退しようと思いました。

――引退されてから、現在の活動をするようになった経緯について教えて下さい。

現在はアイスクリーム屋をやっているんですけど、現役時代には引退後何をしたいかは考えてなかったです。ただ小さい頃からの夢で、周りの人が笑顔だと自分も笑顔になるし、自分が笑顔だったら周りの人も笑顔になるっていうことで、笑顔になれる仕事をしたいっていう思いがありました。小学生の時の夢はケーキ屋さんとかアイス屋さん、一応柔道選手になりたいみたいな(笑)。なので、やっとやりたかったことが今できたというような状況ですね。

――注目する柔道選手について

女子は63キロ級の田代未来ですね。この子はリオですごく悔しい思いをしたんですけど、本当に人がいいんです。こんなにいい子いるのかってくらいで(笑)。それくらいみんなから慕われる子だし、なおかつ強いんです。気持ちがすごく強いので、リオで負けた時はすごく落ち込んでいたんですけど、みんなの前ではちゃんと胸を張って帰って、みんながお疲れ様って言いやすい状況を作ることができるくらい心が強いです。それがまた4年経って今めちゃくちゃ強いんですよ。力の発揮が速くなって、その分技の威力が強くなっていますね。見どころとしては柔道に滲み出ている真面目な部分です。あと男子で言うと、大野将平ですね。次元が違いすぎて言葉が出ないです。例えば、ウエイトトレーニングをするとして、みんな筋力はつくんですけど、それを柔道の技とか動きに使えるかというとそれはまた別の話で。私自身も筋肉をつけても、それを柔道の技とか動きにシフトするのにすごい時間がかかるんですね。でも、大野将平だけは筋肉をつけたらそれをそのまま全部使うことができるんです。こんな人今まで見たことなくて、次元を超えた天才って感じです。今回オリンピックでどんな次元を超えたことをやってくるのか楽しみですね。

――最後に松本様から東京オリンピックに挑む選手たちへのエールをお願いします。

バカになれってことですね。一回どうやって戦うか考えてみて、最終的には開き直ることが大事かなと思います。

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[PROFILE]

松本薫(まつもと・かおり)

石川県金沢市出身。1987年9月11日生まれ。身長163cm。ベネシード所属。2012年ロンドン五輪で日本人第一号となる金メダルを取り、松井秀喜以来二人目の県民栄誉賞を受賞。その後リオ五輪でも銅メダルを獲得した後、2018年11月の大会を最後に引退。

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