PLAYER'S HISTORY
日本代表選手ヒストリー
日本代表として3度目のワールドカップを母国で挑めることとなった田中史朗。2013年にはニュージーランドのハイランダーズに加入し、日本初のスーパーラグビー(国際リーグ)プレーヤーとなったパイオニアだ。
京都の伏見工業高校2年時に全国大会地区予選で負けて以来、毎晩、スーパーラグビーの試合を撮ったVHSを観て競技の構造を勉強。苛烈な猛練習にも自主的に取り組み、京都産業大学では首脳陣と衝突しながらニュージーランド留学などで成長した。
その負けん気の強い戦士が「ほとんど記憶から消しているので…」と振り返りたがらない1年が「2011年」だ。三洋電機(現パナソニック)入りして5季目に迎えた、この年のワールドカップニュージーランド大会。離日前に出たテレビの生放送番組で気合いの丸刈りを披露するなど意気込んで臨みながら、1分3敗に終わっていた。
「ファンの方に申し訳ないことをした」
帰国後は高まらない競技人気や国内環境に危機感を覚え、取材現場では鋭い提言を連発。対戦相手の大物外国人選手からサインをもらい集め、近所の子どもに配った。2013年に海外挑戦した理由には、国内選手がハイレベルな経験を積めば代表強化を促進できるからという点も含まれていた。
英語がさほど得意でないにもかかわらず、周りを動かしながら接点でボールをさばくスクラムハーフというポジションで相手防御の虚をつくコントロールを実践。国際レベルにあって、はっきりと小さい身長166センチという体格ながら、恐怖心を克己し大男にタックルし続けた。かくして地域のクラブ、オタゴ代表を経て、スーパーラグビーへの門戸を開いた。
かくして迎えた2015年、ワールドカップイングランド大会。当時のヘッドコーチ、エディー・ジョーンズとぶつかりながらも歴史的3勝を挙げたナショナルチームの快進撃は、この国に瞬間風速的なラグビーブームを巻き起こした。
「昔だったら歩いていても全然何もなかったけど、いまはありがとうと言われる」
と語る田中。自身が地道におこなってきた普及活動の成果が表れるより先に起こった瞬間風速的なブームに対して、「寂しさもありますね」と複雑な胸中も洩らす。
2016年秋からは、ハイランダーズ時代も首脳陣と選手の間柄だったジェイミー・ジョセフヘッドコーチ率いる日本代表で求心力を保つ。グランド上での弛緩を許さぬさまは相変わらずだが、周囲の選手の戦術理解度や自主性が高まったと喜びも口にする。日本代表が強くなる過程で奮闘し続けた戦士は、日本ラグビー史上最大級の祭典でも献身を誓う。
(文=向 風見也)
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