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【連載】ヨガの八支則ってなあに?(8)ただ生きることで満ちる「サマーディ」の教え
ヨガレッスンに通っているうちに、「ヨガの教えでは…」と哲学的な考え方を耳にすることはありませんか?ヨガはカラダを動かすだけのものではなく、心の働きを定め、幸せになるための哲学が起源となっています。
この連載では、ヨガの哲学の中でもヨーガスートラの八支則についてひとつずつ解説していきます。
集中する対象と一体となる「サマーディ」
「サマーディ」とは「三昧」と訳され、集中の対象との一体感を指すと言われます。
集中の対象も諸説ありますが、私の理解では「今」です。「今」にいることに集中し続けるために自分のカラダを道具として使います。
例えば「今」、自分のカラダが呼吸していることに没頭する状態は努力して集中しているのではなく、自然とそうなっている状態です。
前回『【連載】ヨガの八支則ってなあに?(7)自然とそうなっている「ディアーナ」の教え』でもお伝えした通り、私は「ディアーナ」に行けたことはまだ少ないと思っています。
そのため「サマーディ」に関しては、「ディアーナ」以上に、体験していることが少ないということを先にお伝えしておきます。
ヨガが誕生してから、数多くの偉大なヨガの先生たちですら、おそらくこの世を去るまで、この「サマーディ」を追求し続け、日々練習をしていたと想像しています。
つまり、それほどこの「サマーディ」に到達することは、容易ではなく、また「これがサマーディだ!」と、ハッキリ述べられていることもなく、確かなことがとても少ないため、私自身「サマーディ」に関して語ることを正直、躊躇してしまいます。
ただ、私も偉大なヨガの先生たちがしてきたように、日々ヨガを練習し、ヨガをする人たちの最終目的地と言われる「サマーディ」とは何かを追求しているのは同じです。
今回は、私なりの体験と理解をお伝えしますね。
時間の概念も超えた先に「ある」もの
「サマーディ」は、時間という概念がなくなり、そこに「ある」ことに没入している状態です。
五感が極めてクリアであり、しかしその五感のどれにもとらわれず、心には思考が浮かんでおらず、はっきりと「あるもの」と「ないもの」が分かっています。
そこに「幸せである」という感覚がある時もあれば、ないときもあります。他の感覚の時にもあります。このように、私が体験している「サマーディ」には、段階があるという認識です。
「サマーディ」の体験を語る人々の内容も様々なものがあるので、一概に「こうなったらサマーディ」という指標があるようにも思えません。
近年では脳波を測定して瞑想状態になっているのかをグラフで見ることができる機械があるので、そういったものを使えば分かりやすく視覚化はできるようです。
ただ、私の感覚では、「サマーディ」とは、今を気づき続けることに集中して、思考にとらわれていない状態なのだろうと思います。今している呼吸と、座っている感覚に心を置くこと、つまり「今」を生きているだけで、心は満たされるのだ、という実体験を重ねていくのです。
この鍛錬を続けていくと、心に浮かんだ物事をすぐに察知し、その思考にとらわれることなく受け流せるようになっていきます。
つまり、何を思ったとしてもその思考にはとらわれず、川の流れのように流れていくので心が常に軽い状態になるのですね。心は軽やかに、安心して今にいることができるようになるわけです。
心は本来移り変わるものですから流れていくのが普通なのですが、私たちは過去のことを何回も思い出したり、そこにまた新しく怒りを作り出したりして自分で自分を苦しめていることが多いものです。
自分の見ているこの世界は、自分の凝り固まった思考パターンになりたっているものですから、その土台である思考が流れていってしまえば、ありのままの世界が見えるようになります。
そこを「どう生きるか」という自由で無限の可能性に、ここでようやく立つことができるようになるのです。
さあ!心軽やかに、今、ここから始めよう
八支則は生き方のガイドラインです。最終段階の「サマーディ」では、自分の心をありのまま見て、理解するスタートラインに立ちます。
話を聞いただけでは習得できるものではなく、コツコツと実体験を積み重ねていくことでしか身につけられないものです。私の先生は瞑想を「心の筋トレ」と呼んでいます。
意識的にカラダを扱っていけば筋肉量が増えて可動域が増し、カラダを動かすことが楽になっていくのと同じように、瞑想を続けていけば自分の心の扱い方が少しずつ上達していきます。
心の扱い方を知れば、自分の手の届く範疇にないこと(例えば、過去や未来や他人のこと)に心を揺らすことなく、「今」の自分が確実にできることが分かってきて、最終的にはそこに最善を尽くせるようになります。
そして、「自分ができる範囲以外は、この世界に委ねていけばいいんだな」と知った時、心軽やかに安心してこの世界を、ただ生きていくことができるようになるのではないでしょうか。
いかがでしたか?
この連載は一旦ここで終わりになります。皆さんとはまた別のトピックでお会いすることになると思います。
これからの皆さんの練習の道のりが、たくさんの気づきに彩られていますように。
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