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【eスポーツ温故知新】『Gears of War』シリーズはなぜ日本で衰退したのか
14年前の今頃……
14年前の11月頃、私はXboxにて発売されたばかりのFPS『Gears of War 2』をやっていた。当時、FPSと言えば超ローポリでぴょんぴょん跳ねる軽~いFPSしかなかった時代、『Gears of War 2』は「超重厚なTPS」をだった。
『Gears of War 2』と同時期に発売されたのは『Call of Duty: World at War』などで、まだ『Counter-Strike: Global Offensive』すらなかった時代だ。気付いていない敵を倒すか、気付かずに瞬殺されるFPSを無視し、私がやっていたのは『Gears of War 2』だった。
頭の中にあるのは、ネット上にいる憎たらしいアイツやコイツに思い知らせること。ダウンさせた後に処刑し屈辱を与えることだけだった。
本コラムには「最新作『Gears 5』の面白さを知ってもらおう」であるとか、「『Gears of War』シリーズで新規に遊ぶ人たちを増やそう」という趣旨は“あまりない”。まあ、シリーズのキャンペーン(ストーリーモード)をいちから始めてみようという人には「面白いぞ!」とは言っておきたいが……。
『Gears of War』シリーズのPvPを5000時間プレイした私が書きたいのは、「eスポーツ」という言葉が流行する10年以上前に、こういう対戦シーンがかつて日本にあったということ。『Gears of War 2』について紹介し、文章として残したいのである。
※本記事は、思い込みの激しいライターの当時のフィーリングで執筆しています。あくまで主観による表現であることをご承知おきください
まるで未来から来たようなゲームグラフィック
今や累計4000万本以上の販売本数を誇り、その圧倒的世界観でゲーム史上最高傑作のひとつと称される『Gears of War』。
舞台は惑星セラ。人間同士の星を揺るがす醜い争いが、地下に眠る種族「ローカスト」の地上侵略を誘発し、ローカストに捕らえられた人々は残酷な最期を迎える。人々はその生存圏を日に日に狭めていた。
そんな中、犯罪者の汚名を着せられたマーカス・フェニックス軍曹率いる寄せ集め戦闘集団「デルタ部隊」は、人類の存亡をかけて最後の抵抗を続けていた。しかし、隊を進めるうちにマーカスは自分の父親の研究、そしてローカストの正体に気付き始める……といったストーリーだ。
『プランBだ』『お前達が援軍だろうが!』など数々の名ゼリフを残したこのシリーズは、戦略的なサードパーソン・シューティングゲームや協力型シューティングゲームのジャンルを塗り替えたとして、未だ絶大な評価を受けており、ペラペラのポリゴンで構成された当時のFPS・TPSの中では非常に上手い色使い・光源処理・モーションブラーとテクスチャで、まるで映画のようなリアリティを実現していた。
一般的なFPSにおいては、相手を先に見つけた方が勝ちというのが未だに競技シーンでもセオリーだが、『Gears of War 2』は左右対称のマップで、障害物を挟んで向かい合った状態からのスタートであり、高耐久→ダウン→トドメ(モードによっては時間内にトドメを刺さなければ自力復活可能)という硬派な(ある意味軟派な?)仕様であった。
カバーキャンセルや側転を駆使して体をぶつけ合いながら、ショットガンの1ショットキル(一定以内の距離で集弾ヒットした際は血煙になって即死する)を狙い合う様子は、シューターというよりも格ゲーと言えるほど手に汗握る内容だった。
初代ですでに「完成」していた対戦ツール
初代『Gaers of War日本版』の発売日は2007年1月18日。17年前の時点でこのゲームのPvPは「対戦ツール」としてはすでに完成していた。役割の違う数々の武器に対する習熟、マップ配置、武器奪取の人数の駆け引き、デュエル時の小さなテクニックの積み重ね、そしてやられた時の悔しさ──。
私がPvPを5000時間もプレイしてしまうほど熱狂していた本シリーズは、当時は名物プレイヤー(あくまでプレイヤーの内輪での話)が多数おり、彼らがライバルを互いにけん制し合い、時には罵倒し合い、時には匿名で自分を褒めるなど、ありとあらゆることをしてシノギを削る熱い「界隈」を形成していた。
そして第1作から約2年半後、『Gears of War 2』の発売でプレイヤーも増え、熱気は最高潮に。
では、なぜそこからこれほど廃れてしまったのか? なぜ2023年末の今、大会が全く開かれていないのか? 日本のユーザーは、あの頃のプレイヤーたちはどこへ行ってしまったのか? いつの日かまた、あの頃に匹敵する(陰険で)素晴らしいプレイヤーたちは、再び集まるのだろうか?
「そんな日は来ませんよ(漆黒の英雄風)」
日本における過疎の理由
どうしてこうなった? と考察をしてみると、ざっと以下のような原因が考えられるだろう。
- プラットフォーム独占タイトルとしての残念な対応
- ゲームデザインの凶暴さと、それに集まったユーザーの質の悪さ
- 複数の開発元を渡り歩いたタイトル 時代に迎合し硬派から軟派へ
- 『Gears of War 4』における“日本離れ”
- プレイヤーの高齢化とバトロワの台頭
1. プラットフォーム独占タイトルとしての残念な対応
『Gears of War』は「Xbox独占タイトル」としてリリースされて以来、基本的にXboxのみでリリースされてきたタイトルだ。そう、『〇箱』である(売ってきた、でお馴染み)。マイクロソフトはXboxの日本での扱いに当初から不満を持っている印象があった。それは日本マイクロソフトの、これまでのXbox布教予算の低さ(※主観)からもうかがい知れるかもしれない。最初からPlayStationの本拠地として一歩引いていた、とでも言おうか。事実、Xboxは任天堂ハードやPlayStationと比較してしまうと桁違いの普及率(2桁、下手をすると3桁ほど下?)であった。
ハードが売れないからソフトが売れない、ソフトが売れないからハードが売れないという悪循環。マイクロソフトにもそれを打開しようとする試みは感じられなかった。
『Gears of War』シリーズがXbox独占となった理由に関しては、2005年に発売しPlayStation3独占タイトルであった『God of War』に(おそらく)対抗し、同じ頭文字『GOW』として独占タイトル化したのでは? と当時のゲームファンの一部では囁かれていた。私もその確度は高いと思っている。
ともかく、『Gears of War』に集まって熱くなっていた日本ユーザーは、マイナーハードのマイナーゲームであることは重々承知していたのである。その上で、全く広まらないことに嘆きつつ、親の顔より見たユーザー同士でコミュニティを形成していたのだ。
それでも良かった。そのまま続くのであれば。
だが、彼らは何度も裏切られることになる。
2. ゲームデザインの凶暴さと、それに集まったユーザーの質の悪さ
そもそも、PvPのアクションの中に「処刑」が設けられている時点で、なかなかに攻めたタイトルである。処刑とは、すべての武器種ごとに異なるグラフィックで、ダウンした相手を時間をかけて挑発しながらトドメを刺すアクションのこと。そんなものが搭載されていたのだ。海外で人気の格闘ゲーム『モータルコンバット』シリーズにも同様の演出があった。
しかも、現代のeスポーツ系FPSではマナー違反とされるような「挑発行為」が、禁止されるどころか機能として搭載されボーナススコアが入るなど、"推奨"、いや"奨励"されていたのだ。そんなゲームは他に1つもないだろう(ないはずだ)。
このゲームデザインは初代のゲームデザイナーであるクリフ・ブレジンスキーが「もっと怒って、ヒートアップしてプレイしてほしい」と意図してデザインしたのだろう(か?)。この「挑発でヒートアップ」というゲームデザインはまさに「格闘ゲーム」のコンセプトで、先に挙げた内容と矛盾するものではないように思う。
だがそれゆえに、このゲームからは心の優しいプレイヤーが去っていき、やられたらやり返す負けず嫌いで攻撃性の高いプレイヤーたちが比率として多く残ることになった。そして、勝ったチームが全員で、残った敵チームの最後のひとりを集団挑発するなどの、最悪のPvP環境が醸造されていった。現在の『エーペックスレジェンズ』の比ではない。
ネット掲示板は、幼稚な罵倒が繰り返されることで「ギアーズ幼稚園」などと揶揄されるようになった。その頃にはもう、心優しいプレイヤーはほとんど残っていなかった。
そして、CEROレーティング『Z(成人向け)』も手伝い、(本当に怒らないでほしいのだが)日本ではもうXboxまで手が回るほど暇な「マイナーハード好き独身オタク男性」しかプレイしないソフトになってしまったのだ。
一部のアダルトゲームやアニメのスピンオフ作品が、対応費の安さからXboxでミニマムリリースを行う環境も手伝い、Xboxはハードとしてオタク色をさらに強めていくことになった。陰湿で内弁慶なオタク男性同士が、日本サーバーという蟲毒の中で罵り合い敵意をむき出しにしながら、日々睡眠時間を削ってアドレナリンを出しまくっていたのである(もちろん、私がその筆頭だ)。
そんな状況もあり、『Gears of War』シリーズのPvPにたどり着くまでには、非常に多くの壁が存在した。
- 多くのゲーマー → マイナーハードで脱落
- 女性 → 気持ち悪い、怖い
- 男性 → アッーw
- お子様 → CEROの壁
- 親御様 → こんなゲーム、絶対に子供にやらせるわけにはいかない
結果としてプレイしていたのは、氷河期世代の独身オタク男性(断言してすみません)。アーリーリタイアした富豪がそういった若者を集めて自分の『Gears』チームを作り、西麻布のクラブ(某元アイドル逮捕で騒然としたあのお店など)で宴会を行ったりもしていた。
鬱屈し、暇を持て余していた氷河期世代のオタクたちのストレスを受け止めた本作品。
だが、そのプレイ環境は当時間違いなく「唯一無二」でもあったのだ。
3. 時代に迎合し硬派から軟派へ 複数の開発元を渡り歩いたタイトル
『Gears』シリーズの受難は数えきれないが、Epic Games時代から不穏な空気は漂っていた。それは、開発元であるEpic Games自身が『Gears of War』のプレイ体験に自信を持っていないという感触である。数少ないユーザーが熱烈にゲーム体験を支持していても、開発が他のPvPゲームを気にしている気配は『2』の頃からあった。
そしてそれが決定的になったのは『Gears of War 3』である。『3』から「Team Deathmatch」モードが追加されたのである!!!!!(え? それがどうしたの?w)
『Gears of War』はもともと、陣取りルール(Annex)が採用されていたゲームである。プレイヤーのキル及びデスに決定的な価値はなく、無限に蘇ることが可能なモードだ。
しかし、それと対になる『Warzone』『Execution』というルールが存在した。詳細は省くが、この2つのモード、今では考えられない「5対5のチーム戦で、死んだら決着がつくまで“観戦しなければならない”」ルールだったのである。
やられたら次のターンまでチームに貢献できない。初心者は観戦しながら上級プレイヤーの動きを学び、1秒でも貢献できるよう、悔しさをバネにして上達に励んだのである。
しかし、そこに登場したTeam Deathmatch。このモードはチームの残りライフが尽きるまで復活できる。つまり、「下手でもずっと銃を撃っていられる」ルールなのである!(で、それがどうしたの?w)
デスのリスクはより薄くなり、下手なプレイヤーは上手くなるモチベーションを上げることができず、上手いプレイヤーより下手なプレイヤー(敵チームの栄養)がいる方が負けるという、軟派な対戦モード「Team Deathmatch」。このモードでは終盤は差が開きすぎ、大逆転も減った。
私も何度も経験があるが、『Warzone』『Execution』では、ごくまれに1対5から逆転するという現象が起こり得るのである。先に脱落した他のプレイヤーが見ている(トイレに行っていなければ)画面越しに期待と声援が伝わってくる。そして逆転後、次のターンの味方の動きが明らかに変わる。この快感は、バトルロイヤルやTeam Deathmatchでは体験できない。
しかし、開発元の意見は違ったようだ。多くのライトユーザーの意見を取り入れた結果、PvPはTeam Deathmatch主流となっていく。見学なんて嫌だ、ずっと銃を撃っていたい。そんな多くの要望に応えた結果だ。
そして、転機が訪れる。一部ファンが忘れたいタイトル『Gears of War Judgement』から、メイン開発スタジオがカナダのThe Coalition Studioへ移り、カジュアル化の波はより顕著になる。敵となかなか出会わない無駄に広いマップ、武器や挙動の軽さなど、『1』や『2』でファンを掴んだ要素がどんどんなくなっていく。
「パコーン!」というスナイパーライフルが分厚い頭蓋骨を破裂させる音や、「ドチャッ!」という巨体が障害物に張り付く重量感のあるカバー音。それらのファンが好む手触りが失われていく。
その流れは『Gears of War 4』で決定的になった。
4. 『Gears of War 4』における“日本離れ”
『Gears of War』シリーズのユーザーが最も増えた『Gears of War 2』におけるユーザー増加要因のひとつとして、日本語吹替対応があったのは間違いないだろう。その吹替は第1作ファンの厳しい目から見ても高品質に感じられ、多くの名ゼリフが当時流行り始めた動画サイトでもウケていた。キャラクターを完全に“掴んで”いた日本の声優さんたちはやっぱりスゲぇや!と思ったものである。しかし、日本ユーザーの悲劇は『Gears of War 4』から始まる。
『Gears of War 3』でもすでに不穏な風が吹き始めていたのは前述した通りであるが、ついに『Gears of War 4』の日本での発売がなくなったのである。日本語吹替など、もちろんない。
1年後に日本でも字幕版が販売されたが、日本サーバーはやはりなく、ひどいping(悪い時はping400超という、遅れて弾が発射される弾置きゲー)のもと、多くのユーザーが離脱していった。
5. プレイヤーの高齢化とバトロワの台頭
初期のユーザーが皆いい年になったというのも重なった。
前述の通り、初代『Gears of War』や『2』のユーザーは、初代発売(2007年)時点で20代~30代。しかし、『Gears of War 4』が発売された2016年時点では皆30代~40代になっていた。当時苦労していた氷河期世代たちもそこそこ昇進し、家庭を持つプレイヤーも増えてきたのだろう。推測が多く申し訳ないのだが、周りの人々を見るとそうであったとしか思えないのだ。
家族に見せられないプレイ画面、プレイしても若い頃の反射神経や動体視力はない。そして、盛り上がってきたバトルロイヤル勢力。ゲームを続けている面々は『エーペックスレジェンズ』や『フォートナイト』に流れたのだろう。日本で『Gears』シリーズは対戦ツールとして選ばれなくなっていた。
それでも、ですよ?(まとめ)
私は、近年のバトルロイヤルでは、『Gears of War1~3』で得られたあの日のアドレナリン量は、絶対的に得られていない。
もちろん、私の年齢も大きく影響しているだろう。本記事の執筆に際し、久しぶりに『Gears 5』を起動し、しばらくPvPをやったのち、コントローラーを置いた。当時の動きは手が覚えていたが、やはりpingは400~100の間。1桁pingのアジア勢に謎なキルを取られる。それでも立ち回りだけである程度は戦えたのだが……。
プレイしてみて、当時の片鱗は感じることができたが、オンラインは大幅にカジュアル化してしまい、敵味方ともにbot交じりである。コミュニティも衰退してしまった。
それでも、隠れた場所で、再び『Gears of War』の盛り上がりを期待する自分がいるのである。ショットガン同士の手に汗握る展開、キャラクターの重みを感じるPvPを、近年のシューターにもぜひ体験してほしい。そしてあわよくば、そこに参加したい(とはいえ、もう徹夜で対戦というような無茶はできないのだが)。
あの頃、『Gears of War』の日本サーバーで邂逅したライバルたちは、いまどこでなにをしているのだろうか……。
Gears of War
https://www.gearsofwar.com/ja-jp/
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蟹棒
eSports World編集部所属のエディター。コンシューマーからPCゲームまでさまざまなゲームをプレーする。姑息で陰湿なプレースタイルが信条。
eSports World編集部所属のエディター。コンシューマーからPCゲームまでさまざまなゲームをプレーする。姑息で陰湿なプレースタイルが信条。
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