インタビュー
卓球・伊藤美誠(前編):東京2020オリンピック混合ダブルス金メダルの快挙
近年、日本が飛躍的に力をつけ、世界一の座にも手が届きつつある卓球。
試合では、スピード、回転、コースの変化を組み合わせ、戦術を練り、その勝敗には、メンタル面も大きく影響する。選手たちは、わずか直径40mm、重さ2.7gのボールに人生をかけ、それぞれの物語を紡いでいる。
この連載コラムでは、さまざまな選手たちにインタビューし、そのプレーや人間性の魅力に迫る。
今回は、東京2020オリンピックで混合ダブルスの金メダルをはじめ、3種目すべてでメダルを獲得した伊藤美誠選手。(インタビューは9月12日実施)
(聞き手・文=山﨑雄樹)
<前編:東京2020オリンピック混合ダブルス金メダルの快挙>
―まずは、オリンピック3種目でのメダル獲得おめでとうございます。1か月がたって、今は、どのように過ごされていますか。
「オリンピックが終わって3週間ぐらいはラケットを握っていませんでした。最初の1週間は取材などをお受けしたり、挨拶に行ったりしていました。その後2週間はゆっくり過ごす時間にしていました。わちゃわちゃどこかに行くと言うよりは、ゆっくり自分の時間を作って、温泉に入ったり、ゆっくりしたり、いつもできないことをしました。たまにサービス練習はしましたが、ガツガツ練習するようになったのは、10日ぐらい前からです」
―そういった休養の期間や練習再開のタイミングはオリンピックの前から決めていたのですか。
「何日から何日まで休むかという期間を決めたのは、オリンピックが終わってからでした。オリンピックまでは、練習をやり込んでいて、オリンピック以降の目標を立てていませんでした。目標を決めていないと、私自身、頑張ることはなかなか難しいです。目標のために頑張ることが、私のモットーと言うか。ですので、東京オリンピックが1年延期になっても、『この1年間が大事になる、もっともっと成長できる』と思っていました。
落ち込むと言うか、少し苦しい部分もありましたが、オリンピックがあるからという気持ちで乗り越えられました。小学6年生の時に、東京でのオリンピック開催が決まった頃からの夢だったオリンピックで金メダルを獲る、優勝するという思いで、ずっとずっと1日1日大切に頑張ってきました。東京オリンピックでは、出場している選手のなかで一番練習したと胸を張って言えます。それぐらい練習をしてきた分、東京オリンピックの後の目標は、まったく口にも出していませんし、頭の中でも考えていませんでした。しっかり休んで考えようと思っていました。
東京オリンピックの団体戦がすべて終わって、閉会式が終わった次の日ぐらいから、『(11月の)世界選手権で優勝する。中国人選手を倒す』ということが新たな目標になりました。やはり、私は、目の前の目標がすべてです。積み重ねてきたものを出し切るのは今だと思いましたので、近い目標を立てました」
―オリンピックの舞台は、どんなものでしたか。
「時間的にはきつかったです。混合ダブルスで優勝して、宿舎に帰ったのは午前2時半ぐらいでした。その日からはシングルスが始まり、3時間半の睡眠で試合に臨みました。これまでの大会でも、睡眠時間が5~6時間のことはあったのですが、3時間半は初めてでした。『オリンピックで3時間半かい!』みたいな感じでした(笑)。
それでも、シングルスの初日の2試合をしっかり乗り越えることができました。終わったあとに、やっと寝られると思いました。一方で、試合はめっちゃ楽しかったです。本当に1試合1試合が楽しかったです。楽しいと思えるから、悔しい気持ちや嬉しい気持ちなど、いろいろな経験ができました。3種目に出場し、1試合1試合、初日から最終日まで勝ち切れたからこそ、いろいろな思いができたと思います。
この思いができているのは、卓球選手の中では絶対に私だけだと思います。団体戦が終わったとき、シングルスより団体戦の方が、同じ中国の孫穎莎選手に対して自分の力を出し切れたと思いましたので、やり切った感はすごくありました。最後は出し切ったと言える状態だったので、本当に楽しく終われたなと思いました」
―まず、混合ダブルスから振り返っていただきます。
「各国1ペアしか出られないこともあって、混合ダブルスが3種目のなかで一番金メダルに近く、中国人選手に勝てる自信がありました。水谷選手とのペアだから中国人選手に勝てるという思いもすごくありましたし、中国ペアとは過去に4回対戦し、惜しい試合を何度かしているので(4敗のうち2試合がゲームカウント2-3で最終ゲームは9-11)、自信はすごくありました。
オリンピックはワールドツアーと同じで、混合ダブルスに出場するペアの数が少ないので(オリンピックは16ペア)、初戦から相手も強いです。ただ、私はルーズと言うのかマイペースと言うのか、1戦目の入りが遅いんです(笑)。ですので、1試合目の1ゲーム目からちゃんと取ることを大事にして、決勝戦以外はすべての試合で1ゲーム目はうまくいっていて、取ることができました」
―準々決勝のドイツペア(フランチスカ選手・ゾルヤ選手)との試合は、最終ゲーム2-9から逆転するという卓球史に残る大激戦になりました。
「ドイツペアとの試合は、1ゲーム目から取ったり取られたりでした。ドイツペアは、実力のある選手同士ということはわかっていました。水谷選手は『ここまで苦しめられるとは思っていなかった』と言っているのですが、私自身は森薗政崇選手と組んで世界選手権(2019年・ハンガリー)で負けているので、強さは知っていました。『正直強いし、水谷選手と組んでも、わからない。自分たちが力を出し切っても、勝つ確率は半分ぐらい』だと思っていました。
水谷選手は初対戦だったので『自分たちの卓球をやれば大丈夫だろう』と、私よりは楽に考えていたと思いますが、私は1ゲーム目から本当にわからないと思っていました。あれだけリードされたことも、自分たちの責任ですが、相手が負ける可能性が大いにあるペアだったからです。相手はうまい選手なので、『勝って当たり前じゃん』ではなくて、どちらかと言うと『よく勝ったな』という感じです」
―なぜ、最終ゲーム2-9の場面から逆転することができたのですか。
「2-9から、結構簡単に点数を取れるようになりました。『簡単に』と言うのは、ラリーがそれほど続かなくなったという意味です。私がとにかく簡単なミスをせずに、水谷選手が決めるというパターンです。いつもだと水谷選手が決めるのですが、2-9までは決め切れない部分がありました。もちろん相手はコース取りがうまく、パワーもあるペアでしたが、最終ゲームの出足で自分たちが向かっていけずに、思い切ってプレーできませんでした。
2-9になったときに私自身は『難しい』と思って、逆に肩の荷が降りたんですね。『しょうがないかな』という気持ちと、『ここでは負けられない』という強い思いの両方がありました。ただ『2-9からはちょっときつくない?』みたいな(笑)。でも、水谷選手は隣で『大丈夫、大丈夫』と言ってくれていました。『いつもの隼じゃない』と思いました。オリンピックだからでしょうか。それまでのワールドツアーでは、本当にシュンとなっているのに、本当にドイツ戦では水谷選手に助けられました。こんなことは初めてです!初めて信用できました」
―初めてですか!?「初めてだった」という言葉はテレビ番組などでは聴きましたが本当なのですか!?
「本当です。初めて信じました。普段のワールドツアーでも、目の不調や腰の怪我などいろいろなことがあったのですが、それでシュンとしてしまうんですね。気持ちがそれほど強い選手ではないです(笑)。私は、毎回だいぶ我慢していましたね。観ている皆さんからすると、お互いに頑張っているという印象でしょう。確かに水谷選手は水谷選手で頑張っています。でも、私は私で我慢もしつつ頑張ってきました。本当に練習をしてくれなかったです。
オリンピック期間中も午前中に試合があって、午後に試合がない時は、すぐに練習会場に戻って、(水谷選手と同じ左ききの)早田ひな選手にパートナーをしてもらって、宇田幸矢選手にチキータをしてもらっていました。『隼と組んで練習したの、少ないかも』みたいな感じでした。やはり、調整の仕方は水谷選手ならではのものがあります。年齢も12歳違うので、調整の仕方も絶対に違うと思います。そういったところはやはりうまいなと思います。勝ったから『ありがとう』と言えますね。ドイツ戦で負けていたら『練習していないからでしょ』と絶対に言ってしまっていました(笑)。水谷選手も勝ってホッとしていると思います」
―ドイツペアに勝った後の、涙の理由を教えていただけますか。
「ホッとしたという気持ちもありますし、初めて水谷選手の強い気持ちを感じて、『水谷選手の言葉がなかったら、自分は無理だったかもしれない』と思いました。水谷選手は1本ごとに『まだまだいける、まだまだいける』とずっと言ってくれていました。その言葉に救われました。でも、後々の取材で水谷選手は『よくよく考えたら、俺は2-9から何を言ってるんだ。全然大丈夫じゃないよ』と言ってました(笑)」
―最後に伊藤選手が出したのは、上回転のロングサービスでした。それまで出していないサービスを、あの場面で出すと決めていたのですか。
「そこも初めて、水谷選手と意気投合しました。それこそ初めてです。『最後は思い切っていくしかなくない?』という感じになって、私が『長いサービスいくよ』と言ったら水谷選手からも『うん!長いサーブ、長いサーブ』と言われて、『意気投合した』と思いました」
―あの場面で言葉を交わしたのですか。
「そうです。とにかく思い切っていこうとなって、(指の)サインで『長いサービスいくね』と伝えたら、『そう!うん!』と頷いてくれたので『初めて通じ合った!』と思いました」
―そのサービスが見事に突き刺さりましたね。
「突き刺さりました。超いいサービスでした。ただ、その前の段階でいろいろな回転や変化をつけていたら、もう少し楽に勝てていたかもしれません。それは結果論なのでわかりませんが、それまで出していないサービスを最後に出したからこそ勝てたのかもしれません。最終的に勝てたことは大きかったです」
―準決勝以降はいかがでしたか。
「ドイツペアとの試合を勝ったことによってリラックスできましたので、準決勝の台湾ペア(林昀儒選手・鄭怡静選手)との試合は、抜群によかったです。分がいいと言うか、男子選手と打ち合っても結構私が勝てるんですね」
―林昀儒選手(シングルス4位)もめちゃくちゃ強いですけど!?
「強いです。強いですけど、それがすごくやりやすいです。本当に気持ちいい試合を準決勝からできました」
―そして、中国ペア(許昕選手・劉詩雯選手)との決勝戦です。
「決勝も(ゲームカウント)0-2からのスタートになりましたが、(ドイツ戦の)3-3の2-9と比べれば、楽でした。水谷選手もリオオリンピックの団体戦の決勝で(それまで0勝12敗だった)中国の許昕選手に勝っていたので、前日に『もしかしたら、このペアなら勝てるかもしれない』と思いました。私も世界選手権の団体戦(2018年)で劉詩雯選手に勝っているので『追い詰めたらわからないよ』と思って、自信がありました。0-2でもそのままの気持ちで戦えました。相手選手の方が勝っているのに、負けているような感じが見て取れました。おとなしくなっている感じで、『私たちが1ゲーム取ったら、わからないんじゃない。1-2になったら、自分たちのペースにできるよ』と思って、3ゲーム目を取り返しました。
それに、1ゲーム目と2ゲーム目は私がミスをしているだけだと思いました。相手の強いボールも全然来ていなくて、いつもよりボールが飛んできていませんでした。そうやってミスを誘ってきているのか、中国のペアが緊張しているのかはわかりませんが、ボールが飛んできていませんでした。『だったら、まず卓球台に入れれば、相手はタイミングがずれてミスをするかもしれない』と思って、0-2からでしたが『とにかく入れるわ』という感じで返球していったら、どんどん相手選手が先に崩れていったと言うか、タイミングが合わなくなりました。あとはレシーブも変化をつけたり、フリック(台上で払うプレー)したりすることによって、私自身のペースを取り戻すことができました。水谷選手もさらによくなって、お互いがよくなったので、中国ペアはシュンとしたような感じになってしまいました。気持ちで勝つことができました。すごく相手を観ることもできました。その後、(ゲームカウント)2-2になって、5ゲーム目を取って3-2、その後6ゲーム目を取られて3-3になりましたが、私たちはオーラじゃないですけど、勝つ空気を持っていました」
―最終ゲームは8-0まで、どんどんリードが広がっていきました。どんな気持ちでしたか。
「もちろん、この流れでずっと取っていきたいし、1点も取られたくないという気持ちはすごくありました。でも、目の前の1本1本が重なって、11本になったら勝てると思っていました。8-0になった後、2~3本取られたときはありましたが、挽回される雰囲気ではありませんでした。私たちが押して、いいミスだったので、自分たちはやれることをやろうと思っていました。10-4になるときのネットインなどラッキーだった部分もありましたが、それも勝利の要素のひとつです。本当に最後まで1本1本取ることを心がけていましたので、1本取るごとに身体がゾゾッとするような感覚でした。1本1本が楽しかったです。『よっしゃ!取った』という気持ちでした」
―最後の伊藤選手のサービスに対し、許昕選手がネットミスをしました。下回転だったのでしょうか。
「本当は、サインでは上回転なんですよ。許昕選手が滑っていたと言うか、ラケットが完全に下を向いてしまっていました。ドイツ戦でゾルヤ選手に出したときは、完全にボールが(上方に)飛んでいきましたが、回転量が若干違ったのかもしれません。卓球は回転量の違いもプレーの要素のひとつです。まったく同じサービスを出すのはなかなか難しく、少し違うことも卓球のよさです。サインも上回転で、私も上回転を出しました」
―なるほど!だから卓球の実況は難しいです。相手が落としたから下回転とは限りませんよね。
「そうなんです。逆に下回転でも浮かせるときもありますし、実況の方は難しいと思います。私自身もわからないときがあります。こう出したと思っていても、回転量が少し違うこともあります。あとは相手がいることですので、ラケットの面が違ったら、違う方向にいきます。(通常はレシーブが上方向にいく)上回転(サービス)でも面を抑えていたら、下にいきます。結局、そういったところで卓球は本当に面白いと思います。見た目だけだと、ネットミスは下回転、オーバーミスは上回転という感じですが、意外と全然違うことがあります。相手がいるからこそ、入ることもあるしミスをすることもあるのが卓球の面白さでもあるのかなと思います」
(つづく・後編は東京オリンピックのシングルスや団体戦、今後の目標についてうかがっています)
【プロフィール】
伊藤 美誠(いとう みま)
2000年10月21日生まれ。静岡県磐田市出身。2歳のときに両親の影響で卓球を始める。2016年のリオデジャネイロオリンピックに15歳で初出場し、団体戦で銅メダルを獲得。全日本選手権では2019年、2020年と2年連続でシングルス、ダブルス(早田ひな選手とのペア)、混合ダブルス(森薗政崇選手とのペア)の3冠に輝く。東京2020オリンピックでは、混合ダブルス(水谷隼選手とのペア)で日本卓球界史上初の金メダル、団体で銀メダル、シングルスで銅メダルと、出場した3種目すべてでメダルを獲得。戦型は右シェークハンド裏ソフトと表ソフトの前陣攻撃型。所属はスターツ。
【著者プロフィール】
山﨑 雄樹(やまさき ゆうき)
1975年生まれ、三重県鈴鹿市出身。小学生、中学生と懸命に卓球に打ち込んだが、最高成績は県4位、あと一歩で個人戦の全国大会出場はならず。立命館大学産業社会学部を卒業後、20年間の局アナ生活を経て、現在は、フリーアナウンサー(圭三プロダクション所属)として、Tリーグ(dTVチャンネル・ひかりTV・AmazonPrimeVideoなど)や日本リーグ(LaboLive)、全日本選手権(スポーツブル)など卓球の実況をつとめる。東京2020オリンピック・パラリンピックではNHKEテレのナレーションを担当。また、愛好家として、40歳のときにプレーを再開し、全日本選手権(マスターズの部・ラージボールの部)に出場した。