インタビュー
木下アビエル神奈川・木原美悠(前編):初めての世界選手権出場と最後の世界ユースでの2冠
近年、日本が飛躍的に力をつけ、世界一の座にも手が届きつつある卓球。
試合では、スピード、回転、コースの変化を組み合わせ、戦術を練り、その勝敗には、メンタル面も大きく影響する。選手たちは、わずか直径40mm、重さ2.7gのボールに人生をかけ、それぞれの物語を紡いでいる。
この連載コラムでは、さまざまな選手たちにインタビューし、そのプレーや人間性の魅力に迫る。
今回は、JOCエリートアカデミー/星槎所属で、Tリーグでは1stシーズンから木下アビエル神奈川でプレーしている木原美悠選手。(インタビューは2022年12月28日オンラインで実施)
(聞き手・文=山﨑雄樹)
前編・初めての世界選手権出場と最後の世界ユースでの2冠
―木原選手にとって「激動」と言ってもいいほどたくさんの出来事があった2022年です。御自身にとってはいかがですか。
木原美悠選手(以下、「」のみ)
「まず1月の全日本選手権から始まって、発熱のため準決勝で棄権してしまったのですが、そこまではしっかり勝つことができ、良いスタートだったと言えます。そして、国際大会やパリ選考会、Tリーグの試合もありましたが、何といっても世界選手権(団体戦)は自分にとって影響が大きかったです。世界選手権に出ることはすごく大きな目標でした。出られると決まったときは、嬉しくて仕方がなかったのですが、出るからには成績を残したいと思っていました。初戦(グループリーグ・スロバキア戦)から出させてもらって、中国との決勝の舞台にも立たせてもらって、何か日本を背負っているという感じがして、今までと違う緊張感がありました。SNSなどもたまに見ていましたが、『頑張って』という言葉も今まで以上に多く、日本からもすごく応援していただきました。その後の世界ユース選手権では、世界選手権で経験したことを活かして同世代の選手と戦ってしっかり勝てて、本当によかったです」
―木原選手は、幼少期から物怖じするタイプの選手ではなく、メンタルのとても強い選手だと私は思っているのですが、それでも緊張感は大きかったですか。
「世界ジュニアや世界ユースでも日本代表として団体戦に出場してきましたが、シニアの世界選手権で、日本のトップの伊藤美誠選手や早田ひな選手と一緒にチームを組むということに、最初は緊張しました(笑)。同じチームで出場したことがなくて、いつも相手コートにいる存在なので、最初は違和感がありました。世界選手権の舞台に緊張したというよりも、『負けたらどうしよう』という気持ちが初戦はありました。でも、試合前や試合中に伊藤選手や早田選手からアドバイスをもらったおかげで、団体戦であることを実感できて、2戦目からは気にせずプレーすることができました」
―銀メダルという成績も含め、世界選手権で得たものはどんなものですか。
「対戦相手はWTTなどの国際大会とまったく変わらないのですが、世界選手権の日本代表としてのプレッシャーを感じながらその舞台でプレーできたことは、いい意味での緊張感があって、少し成長できたのかなと思います。成績面では中国に勝って金メダルという目標でしたが、あらためて中国の壁はすごく厚いと感じました。WTTと比べ、世界選手権やオリンピックでは中国人選手の気合いが違いました。自分自身としては初めて世界選手権に出場して、銀メダルを日本に持って帰れたことは嬉しいことでもありましたが、次は絶対に金メダルを取りたいと思います」
―中国の壁は「すごく」厚く感じられたのですね。
「自分と比べてですが、一番感じたことは簡単にミスをしてくれないことです。自分はすぐミスするのに、陳夢選手と対戦したとき(0-3で敗れる)は、何球でも返ってきました。全然打ち抜けないですし、意地でもボールを相手コートに返すという感じでどんな球にも対応されました」
―観ていたのと実際対戦したのとでは違いましたか。
「全然違います。陳夢選手と他の選手との試合を観ているときは、『あんなボール、強く打ったら入るんちゃうん?』という感じでカウンター攻撃ができると思いましたが(笑)、実際に対戦してみると回転量がすごくて、自分が得意なミート打ちやスマッシュがあまりうまくいかず、先手が取れませんでした」
―いずれは越えなければならない壁だと思いますが、取り組んでいることはありますか。
「中国人選手がどういう練習をしているかはわかりませんが、ミスをしないということや1本でも多く返すこと、粘るということを練習から意識すれば、少しずつ近づくことができるのではないでしょうか。もちろん、そこだけではないと思います。サービスやレシーブも含めて、しっかりやっていけば1ゲームぐらいは取れるようになると思います」
―さて、12月に行われた世界ユース選手権では19歳以下のシングルス、張本美和選手とのダブルスと2冠に輝きました。あらためて、おめでとうございます。
「ありがとうございます。出場できる最後の年に2冠を取れたことが本当に嬉しかったですし、ユースでは最後の大会でしたので気持ちが楽になりました」
―「気持ちが楽になった」とは、ラストチャンスをものにできたからですか、それとも、ユース世代では常に追われる立場だったからですか。
「両方ですね。シニアでもある程度勝てるようになってきましたし、ユースの大会になると相手が向かってきますのでプレッシャーもありました。それに加え、最後の年でしたので、『優勝できなかったら、一生後悔する』と思っていましたので、よかったな、頑張ったなと感じます」
―大会を通して順調でしたか。
「1回戦からあまり調子が上がりませんでした。そして、ルーマニアの選手との2回戦(4-1で勝利)とドイツの選手との3回戦(4-2で勝利)では、すごく苦戦しました。ルーマニアの選手には全ゲームリードされる展開で、追い込まれながらも追いついて勝つことができました。ただ、勝っても嬉しくもないし、内容も全然駄目だったので、その後の準決勝も決勝もすごく心配でした」
―そこからどのように修正できたのでしょうか。準決勝は団体戦で敗れている中国の蒯曼選手が相手でした。
「準決勝の相手には、去年の世界ユースの決勝で対戦したときにも負けていて、今回の団体戦でも負けて、『いつになったら勝てるんやろ』と思っていました。左利きの選手で、私のレシーブが全然うまくいかず、本当に難しい相手でした。ですので、シングルスの準決勝ではレシーブだけを重視してプレーしました。ラリー戦ではお互いに決定打はなかったのですが、粘ることや1本でも多く返すことでチャンスボールが生まれ、そのボールをしっかりと狙うことができました。レシーブがよくなったことでプレー全体がよくなりました」
(後編はTリーグでの活躍についてうかがっています)
【プロフィール】
木原 美悠(きはら みゆう)
2004年8月3日生まれ。兵庫県明石市出身。父・博生さんや姉・茉鈴さん、兄・翔貴さんの影響で4歳のときに卓球を始める。小学生時代は、全日本選手権ホープス・カブ・バンビの部すべてで優勝。中学2年生のとき(14歳5か月)には全日本選手権一般の部で史上最年少で決勝進出。2022年は世界選手権(団体)に日本代表として初出場し、準優勝。また、世界ユース選手権では19歳以下のシングルスと張本美和選手と組んだダブルスの2冠に輝く。Tリーグでは、1stシーズンから木下アビエル神奈川で活躍し、今シーズンの前期MVPを獲得。戦型は右シェークハンド裏ソフトと表ソフトの前陣速攻型。バックハンドの強打が持ち味。
【著者プロフィール】
山﨑 雄樹(やまさき ゆうき)
1975年生まれ、三重県鈴鹿市出身。立命館大学産業社会学部を卒業後、20年間の局アナ生活を経て、現在は、フリーアナウンサー(圭三プロダクション所属)として、Tリーグ(dTV・ひかりTV・AmazonPrimeVideoなど)や日本リーグ(LaboLive)、全日本選手権(日本卓球協会・卓球TV)など卓球の実況をつとめ、「日本一卓球を愛するアナウンサー」と呼ばれる。また、小学生、中学生と懸命に卓球に打ち込んだが、最高成績は県4位、あと一歩で個人戦の全国大会出場はならず。その後、愛好家として、40歳のときにプレーを再開し、全日本選手権(マスターズの部・ラージボールの部)に出場した。