インタビュー
T.T彩たま・松平健太(後編):家族の存在を力に「真似のできない」選手に
近年、日本が飛躍的に力をつけ、世界一の座にも手が届きつつある卓球。
試合では、スピード、回転、コースの変化を組み合わせ、戦術を練り、その勝敗には、メンタル面も大きく影響する。選手たちは、わずか直径40mm、重さ2.7gのボールに人生をかけ、それぞれの物語を紡いでいる。
この連載コラムでは、さまざまな選手たちにインタビューし、そのプレーや人間性の魅力に迫る。
今回は、ファースト所属で、TリーグではT.T彩たまでプレーしている松平健太選手。(インタビューは2023年2月13日オンラインで実施)
(聞き手・文=山﨑雄樹)
後編・家族の存在を力に「真似のできない」選手に
―後編では、御家族のお話をうかがいます。奥様の碧さん(フリーアナウンサー)も試合会場にいらっしゃったり、会場へのアクセスや雰囲気などをYouTubeで伝えられたり、さまざまな形で応援されていますね。
松平健太選手(以下、「」のみ)
「妻は、僕の職業をよく理解してくれていて、やりやすいようにやらせてくれています。本当にありがたいです。その理解がなければ、今のような成績も残せていないと思います。もちろん、試合がないときは僕もいろいろ手伝いますが、連戦などハードなスケージュールのときはしっかり休養させてもらっています。また、僕と同じ感覚で勝ったら喜んでくれ、負けたら悲しんでくれます。僕が勝つことによって家族が皆、笑顔になれます。だから、なおさら頑張らないといけないと思っています。Tリーグでも3連敗していて、このままズルズルいってしまうのかという不安もありましたが、負けていられないという気持ちがありました(その後、連勝)」
―そして、1月30日、御長男の誕生おめでとうございます!
「ありがとうございます。子どもが産まれて、勝つ姿を見せ続けなければならないという気持ちがより強くなっています」
―紫水(しすい)くんと名付けられたのですね。
「まず、紫という字を使いたかったんです。紫という字には『上品な人』、『気品がある人』という意味があって、そんな人になってほしいという願いがあります。紫は『ゆかり』とも読みますので、ゆかりがある人になってほしいという思いもあります。また、紫水晶の石言葉は『誠実』や『心の平和』です。あとは、ジョークのような感じになりますが、『お酒に悪酔いしない』というのもあるそうです(笑)」
―御家族の存在がますます力になりますね。
「あとは、犬が1頭とウサギが8羽とペットがたくさんいて、遠征などで長期間、自宅を空けて帰ってくると喜んでくれるんですよ(笑)。この子たちの食費や生活費を稼がないといけないです。かなり費用がかかるのでそのためにも頑張らないといけません(笑)」
―また、選手としてプレーするだけでなく、卓球スクール(卓球ROOM MK)やYouTube(松平健太TV)、オンラインサロン(健太塾)など卓球を伝える活動もされていますね。
「スタートとしては卓球BARを開いて、一般の方に卓球をもっと身近なスポーツとして伝えたいという思いがありました。お店で一般の方たちが楽しく卓球をする姿を見ました。理想的な光景でしたが、新型コロナウイルスの影響で閉店を余儀なくされました。今は、オンラインサロンで卓球の技術を伝え、YouTubeでは卓球の面白さを伝え、卓球場はそういった技術や面白さを実際のプレーで感じていただく場として考えています。卓球の魅力や技術のすごさや難しさなど、いろいろなことを伝えたいという思いがあります」
―さて、前編でもうかがった「緩急」を使ったプレーについて、お聞きします。私も卓球愛好家のひとりですが、松平選手のように自由自在に緩急を使ったプレーができたら、どんなに楽しいだろうと思います。御本人はどんな気持ちでプレーされていますか。
「悪い言い方になってしまうかもしれませんが、遊んでいる感じですね。また、しっかり意識しないと緩急をつけることはできません。たまたま自然と出るような緩急もあるかもしれませんが、僕は完全に意図的にプレーしています。遊び心と意識を大事にしています」
―そういった考え方になったきっかけがあったのですか。
「一昨年、Tリーグ(4thシーズン・21-22シーズン)開幕前に、T.T彩たまの前監督の坂本竜介さんから受けたアドバイスがきっかけです。テンポを変えることや台上で緩いボールを使うことなど、『健太だったらできるからどんどんやった方がいい』と言われました。緩いストップもそのシーズンから使い始めました。その後、去年(2022年1月)の全日本選手権での活躍(準優勝)もあって注目されるようになりました。緩急を多く取り入れるようになったのも同じ時期です」
―そう考えると、何歳になっても変化したり、進化したりできるということですね。
「そうですね。本当に意識次第だと思います。できない技術をいきなりできるようになることは難しいですが、僕の場合は、元々持ってはいたけど出せていなかった技術がありました。『やろうとすればできる』という状態で、自分の意識次第で変化できましたので、それほど難しいことではありませんでした。今の岸川聖也監督も、坂本さんの隣でコーチを務めていましたので、『いろいろなことをやった方がいい』と同じようなアドバイスをしてくれます」
―だから、試合を観ていて面白いのですね!
「細かいプレーですので、なかなか伝わりづらいかもしれませんが(笑)」
―私も必死にプレーを追って、実況でお伝えできるように努めています!最後に、今後、こうあり続けたいという選手像はありますか。
「今の僕のプレースタイルのような選手は僕しかいないと思います。水谷隼さんや丹羽孝希選手も意図的に緩急を使ったプレーをすることはありますが、その回数など量で言えば、僕の方が多いと思います。もちろん選手それぞれのプレースタイルにもよりますが、少数の選手しかできないようなプレーを続けていきたいです。相手からすると、『何をしてくるのかわからない』、『戦いづらい』という選手でいたいです。僕よりももっとスピードを持った選手はいます。僕も回転量はある方だとは思いますが、そこだけで勝負しても難しいので、その分、緩急などを使って戦術面で勝負しています。その面では誰にも負けたくありません。僕は昔からずっと『真似のできない選手』を目標にしています。それは憧れにもつながると思っています」
【プロフィール】
松平 健太(まつだいら けんた)
1991年4月11日生まれ。石川県七尾市出身。実家が経営する松平スポーツの卓球場で2人の兄・敏史さんと賢二さんの影響で「自然な流れで」5歳のときに卓球を始める。賢二さんは協和キリン、妹の志穂さんもサンリツで活躍する現役選手。全日本選手権では丹羽孝希選手とのペアでダブルス優勝2回、石川佳純選手とのペアで混合ダブルス優勝1回。世界選手権でも2013年のパリ大会でシングルスベスト8、2015年の蘇州大会ではダブルス(パートナーは丹羽選手)で銅メダルを獲得するなど長く日本代表として活躍。また、2022年の全日本選手権では高校2年生のとき以来13年ぶりの準優勝。戦型は右シェークハンド両面裏ソフトのドライブ攻撃型。緩急を使ったプレーなど高い技術が持ち味。青森山田中学・高校から早稲田大学に進み、現在はファースト所属。
【著者プロフィール】
山﨑 雄樹(やまさき ゆうき)
1975年生まれ、三重県鈴鹿市出身。立命館大学産業社会学部を卒業後、20年間の局アナ生活を経て、現在は、フリーアナウンサー(圭三プロダクション所属)として、Tリーグ(dTV・ひかりTV・AmazonPrimeVideoなど)や日本リーグ(LaboLive)、全日本選手権(日本卓球協会・卓球TV)など卓球の実況をつとめ、「日本一卓球を愛するアナウンサー」と呼ばれる。また、小学生、中学生と懸命に卓球に打ち込んだが、最高成績は県4位、あと一歩で個人戦の全国大会出場はならず。その後、愛好家として、40歳のときにプレーを再開し、全日本選手権(マスターズの部・ラージボールの部)に出場した。