PLAYER'S HISTORY
日本代表選手ヒストリー
ぎりぎりの立場にいると、自覚してきた。2019年8月。ラグビー日本代表がワールドカップ日本大会前最後のメンバー選考をおこなっていた北海道の網走合宿中でのことだ。
候補選手の1人だった徳永祥尭は、主力クラスとそれ以外のメンバーにわかれておこなう実戦練習で、レギュラー勢の多い組のフォワード第3列に入った。これが試合なら、オープンサイドフランカーの背番号7は徳永のものにも映った。しかし当の本人は、「自分はしんどいなかでもやり続けなくてはメンバーに入れない」。皆が引き上げてからは、トレーニングルームで以前に痛めた箇所のリハビリをした。
本来の正オープンサイドフランカーのピーター・ラブスカフニは怪我で別メニュー調整中。代役を任された徳永は、半ば怪我を押してフィールドに立っていた。キャンプ終了後の8月29日。徳永は最終登録メンバーに滑り込む。
「シンプルに嬉しいですし、呼ばれなかったメンバーの分も頑張らないといけないと思いました」
41名中10名の落選者のなかには、オープンサイドフランカーを生業とする布巻峻介もいた。徳永が主にプレーしていたブラインドサイドフランカー、ナンバーエイトは、同じフォワード第3列のなか中でも簡潔な速さ、強さが求められる傾向が強い。
一方でオープンサイドフランカーは、比較的しぶとさや運動量がいる位置とされる。地面にあるボールへの絡みつき方や味方ランナーへのサポートの角度など、オープンサイドフランカーの見せ場とされる領域では、布巻に一日の長があると徳永は見ていた。自分が競争に勝ったことの意味を、多角度的に捉え直した。
「布巻に比べたら7番(オープンサイドフランカー)の専門スキルでは劣っていると思っていた。布巻にはいろいろと教えてもらって成長できたので、あいつの分も、という思いがあります」
身長185センチ、体重100キロの27歳。強靭な身体の幹をラン、タックルで活かし、空中戦のラインアウトでもばねと分析力で格闘成功率を底上げする。2016年の夏には、初めて数か月程度だったという7人制ラグビーの日本代表としてオリンピックリオデジャネイロ大会で4位入賞。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ率いる15人制の日本代表でも、常に高く評価されてきた。
晴れて最後の31人に名を連ねると、布巻から「俺の分も頑張ってくれよ」と思いを託された。もともと器用に何でもこなせた徳永が、ひとつひとつのプレーに込める思いを増幅させた。本番で出番を掴めるか。
(文=向 風見也)
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