PLAYER'S HISTORY
日本代表選手ヒストリー
針金パーマをあてていたことが日本ラグビー協会で議論になったと、ネットニュースで取り上げられたことがある。ファンや知り合いが「他にもっと話し合うべきことがあるだろう」と首を傾げるなか、当事者の堀江翔太は大らかに笑った。
「最初にエージェントから聞いた時も冗談だと思っていたので…。まぁ、すんません、という感じです」
大阪府吹田市出身。体格のいいスポーツ少年だった。吹田ラグビースクールに入る小学5年まではサッカーを楽しみ、ずっとラグビーを続けようと思っていた中学時代は部活でバスケットにも親しんだ。島本高校から帝京大学へ進み、力強く器用な選手としてその名を知られた。
大学卒業後にニュージーランドへ渡ると、大型選手の並ぶナンバーエイトから現在のフッカーへ定位置を変えた。スクラムでは最前列中央に入り、空中戦のラインアウトではタッチライン際でのボール投入役を務める専門職だ。ただし堀江は、細やかな位置取りと閃きで光るフッカーとして独自の存在価値を創出する。芝の外では音楽とファッションと自由を愛する人物として、誰からも親しまれる。
「敬語を使う、挨拶をするとかいう上下関係は必要やと思うんですけど、意見の交換という意味ではフラットな(関係の)方がいい。スタンスは、こうですね」
ワールドカップ初出場となった2011年のニュージーランド大会が未勝利に終わると、「メディアでも全然、扱われなくて。まずラグビーがあるんだよと日本で知らせるのに、選手ができることには強化しか思いつかなかった」と一念発起。堀江は、2012年に再びニュージーランドへ渡り、翌年にはオーストラリアのレベルズと契約。国際リーグのスーパーラグビーでタフさを磨き、日本代表のボトムアップを図った。
首の手術を経て迎えた2015年のイングランド大会では、当時のディフェンスコーチの顔色を見ながら守備システムの組み直しを断行する。大外から山田章仁、松島幸太朗の両ウイングが飛び出すその形は南アフリカ代表、サモア代表、アメリカ代表を苦しめ、日本代表の歴史的3勝と国内のラグビーブームをもたらした。
2016年には、スーパーラグビーに日本から加わるサンウルブズで初代主将に就任。勤続疲労にさいなまれながら、同年秋に就任のジェイミー・ジョセフヘッドコーチとは一時、口論に近いやり取りも重ねた。ただし今は、首脳陣とも同じビジョンを見る。有数の熟練者として、最前線に立つ。
「観客がばっと盛り上がるお祭りみたいな試合をしたいですし、2015年に達成できなかったベスト8入りを果たしたいですよね」
ワールドカップ日本大会が近づくいま、頭髪はサイドを刈り上げたドレッドヘアに変化。風貌はもちろん、その一挙手一投足でファンの注目を集める。
(文=向 風見也)
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