PLAYER'S HISTORY
日本代表選手ヒストリー
身長188センチ、体重95キロの恵まれた体格でラン、ロングパス、長短を織り交ぜたキックを使い分ける山中亮平は、東海大仰星高校時代から大器と称されてきた。早稲田大学在学中には、日本代表デビューも飾るなど、ラグビー選手として順調な歩みを見せていた。
しかし、4年に1度のワールドカップに出場するのは31歳で臨む2019年の日本大会が初。回り道を経て、自身も「最後になると思う」とする大舞台へ挑む。
初めてワールドカップに迫ったのは2011年のニュージーランド大会。しかし、大会前に代表候補に名を連ねながらドーピング検査で陽性反応が出た。口ひげを伸ばすために使っていた育毛剤がその原因だった。待っていたのは2年間の資格停止処分。大舞台へのメンバー争いどころか、選手としての活動そのものも失われた。ちなみにその春からプロとしてプレーする予定だった神戸製鋼へは、一般社員として入社した。
競技復帰して2年目の2014年にはエディー・ジョーンズ率いる日本代表に呼ばれる。本職だった司令塔のスタンドオフに加え、それを補助するインサイドセンターもこなすよう求められた。日本ラグビー史に残るイングランド大会前の過酷な宮崎合宿へも帯同した。しかし、待っていたのは落選通知だった。大会開幕後も、故障者の穴埋めのための追加招集の可能性を匂わされたが、実現しなかった。
日本大会に向けた道も、決して平たんではなかった。代表強化のために国際リーグのスーパーラグビーへ加わる日本のサンウルブズでも、正規の海外遠征メンバーではなく、けが人の代理としての追加招集というパターンが続く。それでも山中は、淡々と求めに応じてきた。
転機が訪れたのは2018年。所属の神戸製鋼へウェイン・スミス総監督が来たことで進化のきっかけをつかむ。ニュージーランド代表のアシスタントコーチでもあったスミスのもと、ポジションをグラウンド最後尾のフルバックへ固定。社内での工場見学や、部内で作ったミニグループでの密なコミュニケーションを通し、クラブへの強い帰属意識も芽生えた山中は、同シーズンの国内トップリーグファイナルへはけがを抱えたまま出場し、優勝を成し遂げた。
ワールドカップイヤーもサンウルブズでハイパフォーマンスを保つ。日本代表として挑んだ8月10日のアメリカ代表戦では、こぼれ球へ頭から突っ込む泥臭さを示した。それまで華美なプレーで目立ってきた山中を知る者の多くは、SNS上でポジティブな驚きを示したものだ。
スキルフルな選手だった山中は、スキルフルでタフな選手となって過酷な競争を勝ち抜いた。念願の夢舞台でも、しなやかに、ハードに戦う。
(文=向 風見也)
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