4年前南ア戦のように語り継がれる勝利を地元大会で (朝日・日刊スポーツ)
2019.9.20(金)
<15年9月20日南ア戦>
敵陣深くでリーチがスクラムを選択。右タッチ際から左へ展開し、立川の飛ばしパスを受けたマフィが相手を引きつけ、大外で待つヘスケスへ。途中出場のトライゲッターは、相手のタックルを受けながら、インゴール左端に体ごと飛び込んだ…。34-32。日本ラグビーの歴史が動いた。
今回のワールドカップ(W杯)日本代表で、あの南アフリカ戦のピッチに立っていたのは、堀江、田中、リーチ、松島、トンプソン、ツイ、稲垣、マフィ、田村の9人。4年間でメンバーは大きく変わった。だが、「スポーツ史上最大の番狂わせ」と世界から称賛された一戦は、次の世代の選手が進むべき道を、明るく照らし続けてきた。 当時、帝京大4年で、常勝軍団の主将を務めていたのが坂手。寮の部屋で興奮のあまり眠れずに朝を迎えると、岩出監督から声をかけられた。「この試合はチーム全員で見よう」。集合した食堂には、1学年下の姫野の姿もあった。エディー・ジョーンズHCから代表合宿に呼ばれた経験を持つホープも、当時は足のけがに悩まされていた。「プレーできていれば、もしかしたらあそこに自分も…」。悔しさはあった。だが、それ以上に日本人として誇らしかった。「4年後、日本大会は、絶対に自分が出る」。覚悟を決めた。
サントリー入社2年目の中村は、都内のスポーツバーで試合を見た。……
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