【大会総括】いくつもの「新しい扉」を開いた日本大会 ラグビーの価値を再認識
2019.11.4(月)
従来一部の強豪国が持ち回りでおこなってきたラグビーワールドカップが今年、初めてアジアに到来。9月20日から11月2日までの日本大会は、いくつもの新しい扉を開けた。
「政治的なことが国内にはありますが、ラグビーを観ることで皆さんへ幸福をもたらせるようにしてきました」とは、優勝した南アフリカ代表のラシー・エラスムス監督。眼光を鋭くしたまま目じりを下げ、白い歯をのぞかせる。
チームは3大会ぶり3度目の栄冠に輝いたが、大会中に黒星を喫しながら頂点に立ったのは史上初。予選プール初戦で当時2連覇中だったニュージーランド代表に13―23でいなされたが、「優勝するには全勝すべし」のジンクスを打ち破った。同国初の黒人主将となったシヤ・コリシは淡々と述べる。
「ワールドカップはタフ。偉大なことは簡単には達成できないと知っていたので、どんなことがあっても頑張る準備をしていました。敗戦時は向上しなければいけないと思った。コーチは毎日、毎日『できるんだ』と自信をつけさせてくれました。お互いが信じ合えるようになった。それはとても誇らしいことです。色々なことを計画してこうなったのか、と聞かれれば、『やったら、できた』というほかありません」
予定された試合が行われなかったのも今回が初。中止した3試合のうち1試合に出る予定だったカナダ代表は、本来の試合日にあたる10月13日に会場のあった岩手県釜石市でボランティア活動を実施し、対戦予定だったナミビア代表も地域交流をおこなった。大会アンバサダーで釜石シーウェイブスゼネラルマネージャーの桜庭吉彦氏も喜ぶ。
「カナダ、ナミビアは、ああいう状況下でラグビーの価値である『結束』を行動で示してくれた」
このカードが開かれる予定だった釜石鵜住居復興スタジアムは、津波で流された小、中学校の跡地に建てられている。
試合があった9月25日には、スタジアム内の記念碑周辺で釜石高校の洞口留伊さんが震災や防災に関する伝承活動を実施。釜石はラグビーの新たなメッセージ性を世界に提出したと言え、大会後には国際統括団体ワールドラグビー選定の「キャラクター賞(ラグビー界に顕著な貢献をした個人、団体に贈られる)」を受賞した。

そして何と言っても、開催国の日本代表が今回開けた扉は重く、価値があった。欧州強豪のアイルランド代表を下すなど予選プール全勝。史上初の8強入りを達成した。2016年秋のジェイミー・ジョセフヘッドコーチ体制は、選手と首脳陣の相互理解に時間を要している。流大が試合後に語った成功の理由が、この集団の価値を言い当てていた。
「いくら良い戦術があって、良いアスリートがいても、ラグビーというスポーツではチームがひとつにならないと勝てないと僕は改めて感じた」
日本代表が願いをかなえたのは10月13日、神奈川・横浜国際総合競技場でスコットランド代表戦を28-21で制した日。振り返ればこの一戦も、台風19号接近のため開催が危ぶまれていた。
当時の勝ち点の関係上、引き分け扱いとなる中止が決まった場合でも日本代表の8強入りは決定していた。それでも試合前から、姫野和樹は「それは考えていない」。ロマノ レメキ ラヴァに至っては「(グラウンドで決着をつけないのは)男らしくない」と断言。大会組織委員会のハードワークもあり、決行が叶った。
11月3日にリリースされた期間中の観客動員数は延べ170万4,443人、1試合の平均観客数は37,877人となった(ともに中止となったプール戦3試合を除く)。また、プール戦での最多観客動員は横浜国際総合競技場で行われた日本対スコットランド戦の67,666人。決勝トーナメントでの最多観客動員は決勝のイングランド対南アフリカ戦の70,103人で、これは同会場の歴代最多動員数を記録した。
組織委員会会長の御手洗富士夫氏は「この日本大会は、日本列島にラグビーブームを巻き起こしました。そして、アジア、世界全体へ広がっていきました」と述べた。
スコットランド代表戦直後の日本代表リーチ マイケル主将は「私たちだけの試合ではない。犠牲になって苦しんでいる人たちのための試合でもある。この試合のために床を拭いたり水を抜いたりと努力をした人がいるのも知っている」と話した。つくづくラグビーの選手たちには、想像力の大切さを再認識させられる。
(文=向 風見也)
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