【大会総括】いくつもの「新しい扉」を開けた日本大会 ラグビーの価値を再確認
2019.11.5(火)
従来一部の強豪国が持ち回りでおこなってきたラグビーワールドカップが今年、初めてアジアに到来。9月20日から11月2日までの日本大会は、いくつもの新しい扉を開けた。
翌日にリリースされたのは、「観客動員数およびチケット販売 今大会期間を通じての観客動員数は延べ170万4,443人、1試合の平均観客数は37,877人となりました(ともに中止となったプール戦3試合を除く)」「プール戦での最多観客動員は横浜国際総合競技場で行われた日本対スコットランド戦の67,666人」「決勝トーナメントでの最多観客動員は決勝のイングランド対南アフリカ戦の70,103人で、これは同会場(筆者注・横浜)の歴代最多動員数を記録しました」といった前向きなレコードの数々だ。
この大会で初めて楕円球の魅力に触れた「にわか」と自嘲するファンに、いかにして今後も継続的にラグビーを楽しんでもらえるか。大会前から楕円球の魅力を知る人々は、重く尊いバトンを受け取ったと言える。
ファイナルの視聴率は20パーセント超。優勝する南アフリカ代表が準々決勝で日本代表に勝っていることもあり、大会の注目度は最後まで続いた。「政治的なことが国内にはありますが、ラグビーを観ることで皆さんへ幸福をもたらせるようにしてきました」とは、優勝監督のラシー・エラスムス。3大会ぶり3回目の栄冠に輝いたチャンピオンもまた、未開の地に到達したと言える。
というのも、大会中に黒星を喫しながら頂点に立ったチームは今度の南アフリカ代表が初めてだったのだ。予選プール初戦で当時2連覇中だったニュージーランド代表に13―23でいなされていたとあり、今度は「優勝するには全勝すべし」のジンクスを打ち破った格好。同国初の黒人主将となったシヤ・コリシは淡々と述べる。
「ワールドカップはタフ。偉大なことは簡単には達成できないと知っていたので、どんなことがあっても頑張る準備をしていました。敗戦時は向上しなければいけないと思った。コーチは毎日、毎日『できるんだ』と自信をつけさせてくれました。お互いが信じ合えるようになった。それはとても誇らしいことです。色々なことを計画してこうなったのか、と聞かれれば、『やったら、できた』というほかありません」
大会史上初の出来事には、予定された試合の中止もあった。台風19号の影響で計3試合がノーゲームの引き分け扱いとなったのだが、この決定後、改めて関係者をうならせる出来事があった。10月13日の一戦に出る予定だったカナダ代表が、本来の試合日に会場のあった岩手県釜石市でボランティア活動を実施。対戦予定だったナミビア代表も地域と交流したのだ。
地元の釜石シーウェイブスゼネラルマネージャーでもある大会アンバサダーの桜庭吉彦氏は、「カナダ、ナミビアは、ああいう状況下でラグビーの価値である『結束』を行動で示してくれた」と喜ぶ。
このカードが開かれる予定だった釜石鵜住居復興スタジアムは、津波で流された小、中学校の跡地に建てられている。
試合があった9月25日には、スタジアム内の記念碑周辺で釜石高校の洞口留伊さんが震災や防災に関する伝承活動を実施。ちなみにこの午後は、大会で16年未勝利のウルグアイ代表がダークホースと見られていたフィジー代表を30-27で破っている。ウルグアイ代表の激しい防御と災害からのタフな復興を重ね合わせるファン、メディアも多かった。釜石はラグビーの新たなメッセージ性を世界に提出したと言え、大会後には国際統括団体ワールドラグビー選定の「キャラクター賞(ラグビー界に顕著な貢献をした個人、団体に贈られる)」を受賞した。
そして何と言っても、開催国の日本代表が豪快に歴史を塗り替えた。過去に強いられた過密日程から解放されたなか、欧州列強のアイルランド代表を下すなど予選プール全勝。史上初の8強入りを達成した。
2016年秋のジェイミー・ジョセフヘッドコーチ体制は、選手と首脳陣の相互理解に時間を要している。流大が戦後に語った成功の理由が、この集団の価値を言い当てていた。
「いくらいい戦術があって、いいアスリートがいても、ラグビーというスポーツではチームがひとつにならないと勝てないと僕は改めて感じた」
日本代表が願いをかなえたのは10月13日、神奈川・横浜国際総合競技場でスコットランド代表戦を28-21で制したからだ。振り返ればこの一戦も、台風19号接近のため開催が危ぶまれていた。
当時の勝ち点の関係上、引き分け扱いとなる中止が決まった場合でも日本代表は8強入りできた。それでも戦前から、同代表の姫野和樹は「それは考えていない」。同じくロマノ レメキ ラヴァに至っては「(グラウンドで決着をつけないのは)男らしくない」と断言。大会組織委員会のハードワークもあり、試合の決行が叶った。
実は11月3日、都内でのワールドラグビーの年間表彰式で組織委員会会長の御手洗冨士夫氏が「この日本大会は、日本列島にラグビーブームを巻き起こしました。そして、台風のごとく駆け抜けて、アジア、世界全体へ広がっていきました」と挨拶。議論を招くこととなる。
一方でスコットランド代表戦直後の日本代表リーチ マイケルキャプテンは、「私たちだけの試合ではない。犠牲になって苦しんでいる人たちための試合でもある。この試合のために床を拭いたり水を抜いたりと努力をした人がいるのも知っている」と言葉を絞ったもの。つくづくラグビーの選手は、想像力の大切さを再確認させる。
(文=向 風見也)
掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属します。